● 第10話/28才

背中のいれずみがとてもきれいだった美人ママに誘われ、再び店長候補として美人ママのクラブで働くことになった僕はクラブ付近のマンションに引っ越して新しい生活を始めた。

韓国でこの話を聞いた母も、夜逃げしたママ探しをあきらめて日本に戻り、美人ママのクラブの厨房で働くようになった。美人ママは、今まで見てきた数々のママの中で、一番品が良く、人徳が溢れるやさしい人で僕を実の息子のように接してくれた。

そんな美人ママのために、僕は様々なアイディアを出し、恩返しをした。数え切れないほどある美人ママの古着をホステスにレンタルして副収入を上げたり、日本人客のために店の中では韓国語を喋るホステスに罰金を払う規則を作ったり、今まではいい加減に扱っていた遅刻、欠勤への罰金を徹底に徴収するなど、ホステス達に払う給料を50%も節約することを実現させた。

ほとんどのホステスが僕の仕事にイライラしていたが、その中でたった一人、僕のやり方を歓迎するホステスがいた。それがミヘだった。昼は日本語学校に通い、夜はパートタイムホステスをやっているのミヘはとても可愛いくて特別な存在だった。

韓国語罰金も払ったこともなく、謙虚で、誠実で、頭が良くて、店では最初で最後の大学出身で、なんでも一生懸命に学ぼうとするミヘは僕のやり方でホステス達の悪い癖を治してくれると期待していた。

ある日、アメリカ人のビジネスマンが店にきた時完璧な英語で友達のように話すミヘの姿を見た中卒の僕は底知らぬ片思いに落ちた。店では経験も歳も一番下だけど、売り上げは常にベスト5に入るミヘは「沢山貯金して韓国で、子供の英語、日本語塾を開きたい」と、いつも言っていた。

そんな彼女に対した僕の感情は益々深くなって、店が終わってお客さんと食事に出て行くミヘの後ろ姿を見つめながら辛い思いをする毎日になった。

たまに食事に誘われて一緒にいった時にも一言も喋らず、なんにも食べられず「どうしたの?」と、訊かれても『あ、お腹いっぱいだから。。。」と、クッパを見つめているだけだった。

母もそんな僕の気持ちを分かってミヘだけには特別扱いをしてくれた。ミヘなら、嫁にきてもいいと言ってくれた母は様々な手段でミヘを引っぱってきた。

キムチを作った時は必ずミヘの分を取って置いてほかのホステスには内緒で食べさせるのを見ると、ミヘに新しい母ができたようだった。

昔のような派手な生活をやめてコツコツ貯金をしながら静かに暮らしていた母は、そろそろ僕を結婚させミヘと3人で韓国に帰りたいと思っていた。そのために母は再びカネ貸しをはじめたが、今度は信用できる人だけ、利息も安くしていた。

僕も母同様、お金をためて韓国に帰りたいと思いはじめた。だが、それは僕だけの夢ではなかった。店のホステスもみんな同じことを考えながらお金をためていた。みんな成功して韓国に帰りたいと思っていた。

そのため、彼女達はいろんな工夫でお金を集めていた。その一つが「ゲ」をやることだった。「ゲ」は、仲間同士で大金を作る方法で一ヵ月に一回、20人ぐらいのメンバーがお金を出し合い、くじを引いて当たった人が順番ごとでお金を持っていく昔からの女同士のお金の運用方法だった。

だが、日本ではちょっと違う形で行われていた。カネ使いが荒いホステスたちはいつも急銭が必要だったため、くじを引く代わり、自分が払う利息の金額を書いて一番高い利息を書いた人がそのお金を持っていく方法になっていた。

20人のホステスが一人10万円の「ゲ」をやる場合、200万円の金が集まる。その200万円に対して自分が払える利息を各々書き、リーダーがみんなの前で発表する。その中で一番高い利息を書いた人が金を持ってことになっていたが、20人の中では急にお金が必要になった人が必ず2、3人いるため、いつも競争的になってしまい、どうしてもお金が必要な人は4、50万円の高い利息を書いてお金を手にしていた。

もし50万円の利息が出た場合それを20人で割って分配する。50万円を20に割ると、2万5千円。結局、残りの19人は10万円ではなく7万5千円だけ払えばいいことになる。それが20回集まってすべての人がカネをもらえば、その「ゲ」は終了するという仕組になっていた。

「ゲ」には必ず主催者のリーダがいてリーダは一番最後にカネをもらうことになっているので利息は払わなくてもいいが、その代わり「ゲ」の運営や途中でカネだけもらって逃げる人を探すなど「ゲ」が無事に終わるまで参加者を徹底に管理する義務があった。

もし、逃げた人が出た場合、リーダが責任をもってその穴を埋めることになっていたので、大体の場合、ホステスたちは信頼できる店のママがリーダを勤める「ゲ」に参加していた。僕のクラブにも美人ママが仕切る「ゲ」があって僕も、ミヘも、みんな参加していた。

しかし、美人ママの「ゲ」では利息を分配せず、ホストクラブでみんなと中良く、遊ぶことで飲み代にまわしていた。その「ゲ」をやる20日、僕を含めたメンバー全員が早めに店を閉めて隣のホストクラブに遊びにいった。

その時、僕は偶然、昔のルームメートをスカウトしたホストに会って姿を消したルームメートのことを聴いた。ルームメートは数百個の使い済みのコンドムで口と喉をきっちり塞がれたまま、性器が切断された状態で大阪の海で発見されたと、そのホストが半分笑う顔で僕に言った。

テーブルに戻ってきた僕は酒が喉を通らず、ただ「大阪の海は悲しい色やね」をみんなにバッシングされながらも、何ん回も、何ん回も歌い続けた。

重い気持ちが晴れないまま、みんなとホストクラブを出てきた時「明日、ディズニーランド行かない?」と、誘うミヘの一言で、ルームメートのことなんか完全に吹っ飛んでしまった。

翌朝、孫誕生の希望に満いた母の強力な応援を背負って家を出た僕は、まだ日も昇ってない暗い駅のホームの中で約束時間になるまで小林製薬の文字が書かれてある鏡を見ながらいつもの決めセリフを練習した。

15分遅れてきたミヘにさっき練習した決めセリフを連発しながら母が用意してくれた美味しいキムチ入りの特上弁当を満員の出勤電車の中で一緒に食べながらディズニーランドに向かった。

ディズニーランドで初めてミヘの手を握った僕は、手の平にすぐ汗が染みてくるため何回も手を拭きながら握る直すのを見て、ミヘは手と手の間にハンカチを挟んでくれた。

ふたりはまるで恋人のように上々に暖まっていった。その時、スペースマウンテンの前で偶然、目の前に現れた運命の女、書類上の僕の奥さん、恵美がいた。4年ぶりの恵美の腕の中には半分白人の顔をしている赤ちゃんが寝ていて、
その隣で5歳になったアフロ頭の黒い顔をした超可愛い子がアイスを舐めていた。

50分待ちのスペースマウンテンの列にミヘひとり待たせといて、僕は恵美とカフェで、今までのことについて聴く事にした。彼氏を探しに行ったアメリカで、逃げ回る彼氏の居場所を密かに教えてくれた彼の元会社の同僚とできちゃって、しばらく同居していたが、避妊失敗で子供ができてしまい、結局、彼にも逃げられ、ふたりの子供だけ連れて日本に戻ってきた恵美は「今はずいぶん落ち着いたよ」と、言っていたが、冬なのにまだ夏の服を着ているアフロ頭の息子の姿に僕の気持ちは複雑になった。

猛スピードでジェットコースターの上を走っているミヘに携帯で謝ったあと、僕は恵美とふたりの子供を連れて家に帰ってきて母を唖然とさせた。

戸籍上だけの、しかも色違いの、ふたりの孫を複雑な気持ちで見ていた母は「お母さんのビザ更新の時も保証人になってあげるわよ」と、恵美の話で少し柔らかくなった。やっぱり子供は可愛いもの。すっかりバーバ気取りをする母は、夜には腕を振る巻いて恵美が大好きな韓国料理を作ってくれた。

アフロ頭も「辛い、辛い」と、いいながらキムチ一皿を全部食べた。夜遅くまで遊んでいた子供たちも、ぐっすり眠って「遅くなってすみません、もう帰ります」と、ふたりを抱いてタクシーに乗り込む恵美のポケットに30万円を入れると、恵美は喉がつまってなんにも言えず、大粒の涙をこぼしながら去っていくタクシーの後ろ窓から何度も何度もおじぎをしていた。

寝る前母は「恵美の鞄の中に20万円を入れといたよ」と、僕に自慢していたが、僕は「もっとあげればよかった」と、背を向いて寝た。

次の日、ディズニーランドのことが気になって早くも店に出てきた僕は、出勤するミヘにいくら謝っても営業が終わって退勤するまで一回も口を聞いてくれなかった。そして、その怒りの沈黙は一ヵ月も続いた。

20日、給料日と「ゲ」の日がやってきた。当時、ミヘは韓国のビジネスマンに75万円も飲み逃げされ、それを給料から引かれたため、手にした給料は、たっだの2万円しかなかった。

営業終了後、いつものところで「ゲ」が始まったが、プライドが高く、客におねだりもしないミヘは、たよりにしていた親友のソヨンからもカネを借りることができず、そのまま「ゲ」に参加していた。

みんなは楽しくホストに抱かれて遊んでいる中で、パートナも断わってひとりで酒を飲んでいたミヘが利息を書く時間になったときには、なにもかもあきらめた顔で滅多に吸わないたばこを吸いはじめた。

「今日の利息を発表します!」
「スンミ30万円!」
「エリ、0円!」
「ジソン100円!」
「ミヘ0円!」
「店長。。。に、200万円?」

僕の金額にみんな驚いて一瞬静かになった。しかしすぐにもホストたちは嬉しくて踊りはじめた。200万円分遊べると思ってホステス達も大喜びした。

その時、「うるさい!」と、美人ママが立ち上がった。「おまえ、何んでこんなことするんだ」と、怒鳴っていた美人ママに、僕は「今日の利息の分配金は持って帰ってください」と、言って席を去ろうとすると、さっきからずっと僕をにらみつけていたミヘが立ち上がって店を出ていった。

訳が分からないまま、ボーと座っているみんなに美人ママは「今日は利息ナシ!店長が200万円もらのよ、みんないいな?」と、お金を集めはじめた。

僕はミヘを追いかけて店を出て行ったが、すでにタクシーに乗っていたミヘはッ僕の視野の中からゆっくり遠ざかっていった。去っていくタクシーを見ながら僕は何故か
「うめのすずき」を歌っていた。そのこと以来、僕とミヘの間では、前よりもっと厚い壁ができてしまった。





● 第9話/27才の生き道

母の長い留守のあいだ、金貸しの同業者だったクラブのママが母の通帳からカネを降ろして夜逃げした。事件を聴いた母は次の日帰ってきたが、ショックで手のふるえがずっと止まらなかった。

ママを実の妹のように信用していた母が旅行中に通帳と印鑑をママに預けたのが原因だった。しかしママは母のカネだけではなく、ホステス、サラ金、闇金など様々なところからカネを借りて逃げたので同業者であり、保証人であった母はママの代わりにその弁償に追われはじめた。

朝から晩までかかってくる催促電話にノイロゼ状態になった母は「ママをソウルでみたよ」と帰国したばかりのホステスから話しを聴いて韓国に出発した。
一週間後、ママに逃げられた店はホステスにも逃げられ、あっという間に潰れてしまった。

一晩で仕事を亡くした僕はあっちこっち店を当たってみたが、不況の陰が深いこの町で、仕事はそんな簡単には見つからなかった。

そんな中、面接にいった韓国クラブで、昔僕の店で仲良くしていたホステスのスミンに偶然会った僕は、一緒に夕ご飯を食べにいった焼肉屋のオーナーがスミンも常連だったので無理やり頼んで僕を厨房に入れてくれた。

給料は少なかったけど、寮があったため、母も居なくなったマンションを出て焼肉屋の寮に移った僕は韓国の留学生と同じ部屋で生活をはじめた。

焼肉屋の仕事も慣れてきた頃、客と食事しにきたスミンが厨房で皿を洗っている僕を自分のテーブルでサービングして欲しいとオーナーに頼んでくれたお陰でその日僕は手に水をつけず仕事を終えた。

その夜以来、僕が焼肉屋の厨房で働いていると噂を聴いた知り合いのホステスたちが、最初は冗談のつもりで指名をはじたのが一ヵ月後には知らないホステスからも指名されるまでになりオーナーは仕方なく僕をホールマネージャにしてくれた。

お陰で、体も楽になり、給料もあがった。

そんなある日、一緒にホールサービングをしている韓国の留学生が食事中のホスト達にスカウトされ、パートタイムホストになった。彼は5時から11時まで焼肉屋で働いて12時から朝まではホストクラブでバイトをはじめた。

絶倫好色漢でルックスも良かった韓国留学生は、まさにホストのために生まれたように夜の仕事に向いていて、あっという間にナンバーワンを脅かすほど成長し、売り上げもトップの座に昇りつめた。

日がすぎると共にやせていくこと以外、韓国留学生のホストライフは完璧なほど順調だった。そんな彼を見て羨ましいと思っていたある日の朝、奇妙な肌触りでびっくりして起きると、僕の布団の中に裸の女が入っていた。

ホテルが取れなくて寮に女性客を連れてきた韓国留学生が布団を独り占めして寝ていたので女が僕の布団に流れ込んできたのだ。

「きのうは、ごめんね」と、謝る彼に
「いや、俺も楽しかったよ!」と冗談を言うと、

それを本気にした韓国留学生がそれ以来、広くもない6畳の寮に女を連れ込んできて、隣の布団の中で度々子供作りをやっていた。

それから、僕は寝る前に必ず鏡を用意して子供作りがある日には片手で鏡をもって眼を真っ赤にして何時間も覗いていた。

12月、クリスマスが近付いたある日、韓国留学生は女を寮まで連れ込んだものの、ひどく酔っ払ったせいで部屋に入った途端そのまま倒れて気を失ってしまったので、前払いした女客は怒鳴って叩き起こしても、うんともすんとも言わない彼をあきらめて、寝たふりをしている僕を起こして子作りをはじめた。

そんな夢のような生活が3ヵ月ほど続いた時、ホストの仲間と食事しにきた韓国留学生がホールでサービングをしている僕を呼び止めた。

「今、人手が足りないから、あした面接にきてみない?」

という誘いに、顔ではいやな表情をつくりながらも心の中では万々歳をした。次の朝、早くから起きて派手な衣装に薄くなりはじめた髪をなんとかこまかして家を出た僕の心はいろんな想像で揺られていたが、クラブの中に足を踏み入れた途端、その夢はガラスの破片のように飛び散った。

彼等が言った人手が足りというのはホストではなく、ウェーターのことだった。浮かれて話しを最後までよく聴きなかった僕のせいだ。僕は焼肉で頑張ると、ホスト達に格好よく言ってやったが、店を出る僕の後ろから彼等の笑い声が止まらなかった。

その日から辛く感じてきたウェーターライフが永遠のように続いたある日、ひとりで寝ていた僕はいきなり布団に巻かれたまま、車に乗せられヤクザ事務所に運ばれた。しかし僕が布団から顔を出した時、「違うねん!」と再び布団に巻かれ寮に戻された。

体のでっかいお兄ちゃん達が韓国留学生の手帳をもって寮を出ていくを見てから韓国留学生は二度と寮に現われなかった。

親分の女に手を出した韓国留学生を探すため、毎日のように現われるやくざ連中のせいで客がほとんど来なくなり、まるでチンピラ専用の焼肉屋に化けてしまった。ちょっとしたことでも怒鳴られる辛くて長い一ヵ月が過ぎた時、たまたま食事をしにきたこの町で一番美人の韓国クラブのママが、チンピラ達にいじめられている僕に手をさしのべた。




続く...






● 第8話/26才のソウル

3ヵ月ぶりに元気な姿で戻ってきた母は夜遊びをやめてその代わり、月一回韓国にいくようになった。4泊5日の旅程に200万円近く使う母は、故郷では気前のいい貴婦人として有名になっていた。

「息子が日本で成功したお陰で、お小遣いをこんなに沢山貰って毎月韓国にこれるようになりました」と嘘の自慢をしていた母のせいで、親戚や母の友達が日本に来る度に僕はベンツをレンタルして成田空港まで迎えにいく羽目になってしまった。

そんな中、日本で大成功した息子さんに是非会いたいと、親戚一同が送ってくれた飛行機のチケットや数枚のお見合い写真を見て益々不安になった僕は、母のしつこい誘いに固く耳を閉じていた。

どんな説得にも絶対応じない僕をみて、母は「実は、おまえの本当のお父さんが、今おまえに会いたがっているよ」と目に見える嘘をついてきたが、父を探してみたい気持ちが湧いてきた僕は父に会ったらあげようと買った中古のロレックス時計を鞄に入れて韓国行きの飛行機に乗った。

キンポ空港からもう一回国内線に乗り換えて更に2時間バスに乗って夜遅く母の故郷についた僕達は、町の入り口で歓迎してくれる人の数にまずびっくりした。一瞬、真っ違って北朝鮮に来ているのではないかと緊張したぐらい、きれいな女性たちが伝統衣装に花を手にして道路辺に立って熱く歓迎してくれた上、夜11時が過ぎているにも係わらず、どんどん運ばれてくる食べ物と挨拶しにきた人々の名刺を見てもう一度びっくりした。

国会議員、市議員、銀行の支店長など、様々な人間が母の嘘に騙されて投資話や寄付の依頼のため、首を長くして僕がこの町にやってくるのを待っていた。

母の故郷で、僕は「三菱グループの次期オーナー」になっていた。

夜、母はどっかに姿を暗ました。心配で眠れない僕のホテルの部屋に娘を連れてきたお父さんが3人もいた。その中では僕の前で娘にコンドムを渡す父もいた。最後に部屋をノックした子の父は「ソーセージを食べる時は、よく噛んで食べるんだぞ」と
意味の分からないアドバイスを娘にして帰った。

3人を追い出そうとする僕に、今帰ると怒られからとベッドに潜ろうとする娘3人と、僕は仕方なく朝陽が昇るまで「はなふだ」をやって時間を潰した。

始発のバスに乗せて帰らせようと思っていたら「手ぶらで帰ると、怒られる」と、またベッドの中に潜ろうとする3人の娘に3万円ずつ握らせた後、僕は母宛にメモを残してソウルに逃げてきた。

市内の安いホテルに部屋を取ったあと、久しぶりのソウル観光を楽しみながら外に出てきた途端、ホテルの前にとまってある献血バスの可愛い看護婦さんに捕まって中に連れ込まれると、もっと可愛い子が2人もいて、私も!私も!とおねだりされてあっという間に合計3袋の血を出されたあと、オレンジジュース3本を飲み干して上着を着ているとまあまあ可愛いかった看護婦さんが、

「当分エッチは駄目よ」と言ったので、
「なんでですか?」と、返すと
「これ書いたら、教えてやる」と一枚の書類を渡された。

そこに名前、住所、職業、電話番号等を書いて渡すと「今日から三日ぐらいは勃起しないからね」とその看護婦さんがニヤっと笑った。

そのとき、奥で書類を読んだ看護婦さんが「あら、あんた新宿で働いてんの? 私の妹も今そこで働いているのよ!」といきなり興奮しはじめた。

その看護婦さんが「今日時間ある? 丁度、妹に贈りたいものがあるんだけど、ご馳走するからお願いしていい?」と、腕を引っぱる看護婦さんの顔が、凄くタイプだったので「いいよ」とすぐ返事した。

彼女に部屋番号を書いたメモを渡して献血バスを降りた時は、母のことなんかは全て忘れていた。

夜、荷物をもってきた彼女を居酒屋で口説いて部屋に連れてきた僕は「本当に勃起しないのか、試してみよう!」と、彼女の目の前でズボンを降ろすと「一応、協力はするけど、あんまり期待しないでよ」と僕のモノを口に入れる彼女の優しい声が1時間後には「もう、帰る!これぐらいやってあげたら、もう充分でしょう? 荷物はちゃんと届けてね!」と怒りの声に変わっていた。

「なんで怒るんだよ!」と僕が逆切れると、
「だって、本当に立ったないんだもん!私のほうががっかりよ!」ともっときれる彼女に
「おまえが血を抜いたからだろ!」と、怒ると
「おまえが取れっていったんだろう?」と、殴りあい寸前の喧嘩がはじまった。

しかし男には勝ってないと思って慌てて服を着る彼女に
「荷物もってけ!」と、叫んだら
「あんたみたいな人間には頼まないわよ!」と、荷物をもって出ていった。

次の朝、旅行の気分も乱れ、せっかくのソウル観光も途中で断念して日本に帰ってきた僕は
ずっと母の帰国を待っていたが、怖がりやの母は1ヵ月も帰ってこなかった。

そして、悲劇が訪れた。

韓国の女、怖い...













●日本人女性と
▲韓国人女性のイメージ


● 白い顔。
▲ きつい顔。

● 他人に優しい。
▲ 自分に優しい。

● 割り勘してくれる。
▲ 割り勘の意味すら知らない。

● ハードルが高い。
  でも誰かの紹介になるとすぐ仲良くなれる。
▲ ハードルが低い。
  男がカネがないと判明されたらハードルが急に高くなる。

● 臭いがしない。
▲ 全部ではないけど、ちょっとキムチくさいかな...

● ヴィトンを持っている。
▲ ヴィトンを買ってくれる男を持っている。

● 同居している子が多い。その割に結婚していない。
▲ 結婚してる子が多い。でもみんな別居している。

● 男に頼らない。
▲ 男に頼り過ぎ。ちきしょー、俺も頼りてー。

● 男の言うことをきく。
▲ 言わないほうがいい、怒られる。

● 痴漢対策が甘い。
▲ 無理無理。捕まったら人生破綻される。

● 車に興味がない。
▲ 安い車に興味がない。

● 女優やモデルの中で可愛いと思った子はまだいない。
▲ 可愛い。全部整形だけど...

● 整形を恥と思う。
▲ 整形を自慢する。

● 優しい子が急に意地悪になったりする。
▲ いつも意地悪の子がたまたま優しくなる。

● 男と酒をよく飲む。
▲ 確実にやばい目にあうので滅多に飲まない。本当本当。

● 化粧が薄い。
▲ 約1cmから2cmぐらいする。

● 我慢強い。
▲ 我慢しない。

● 高校を卒業すると急に静かになる。
  日本の女子高生はなんであんなにうるさいんだろう。
▲ 高校を卒業すると、いきなり暴れる。
  女だけじゃない。俺もかなり暴れたな...
  
● 「すみません」が挨拶になったおばさんが多い。
▲ 「これいくらだったの?」が挨拶になったおばさんが多い。

● 占いが好き。
▲ 占いが好き。でも信じない。

● 男のプロポーズの言葉を大事にする。
▲ 男がいくら使ったかをを大事にする。

● 旅行とショッピングが大好き。
▲ 男を旅行に連れてショッピングさせるのが大好き。

● 美味しい料理を食べたがる。
▲ キムチ一筋。たまにカクテギ。

● 男がカネを払ってくれると感謝する。
▲ 男がカネ払う時いつもトイレに行く。

● いろんなこだわりがあって口説き難い。
▲ カネ。

● あいまいな言葉で本音が見えない。
▲ これだけは僕も知らない。女ってやっぱ難しい。

● 約束時間を守る。
▲ 30分遅れるのは基本の中で基本。
  俺は合コンで3時間待ったこともある。
  でも、凄く盛り上がったな...何故だろう...

● セックスからはじまる恋もある。
▲ セックス出来ず終わる恋が普通。

● 旦那の浮気を知ったら、まず探る。
▲ 旦那の浮気を知ったら、まず刺す。

● 旦那に保険をかけて死ぬまで待つ。
▲ 旦那に保険をかけて死ぬまでやる。

● 日本には韓国人ママが多い。
▲ 韓国には日本人パパが多い。
  俺の友達の中で一人なりかけた奴がいる。
  うらやましい、俺もなりてー!

● 日本のモデルは男にもてる。
▲ 韓国のモデルは男とホテル。


続く...
  
  




●日本人男性と
▲韓国人男性のイメージ


● 客観的に格好いい。
▲ 主観的に格好いい。

● 優しすぎる。
▲ 可愛い子に優しすぎる。

● 痩せている。
▲ 野生的である。

● カネ持ってそうで持ってない若い連中。
  カネ持ってなさそうでメッチャ持っているお年寄り。
▲ みんなカネ持ってない。
  いや、俺だけかな?...

● ジンーズが似合う。
▲ なに着ても似合わない。

● 女好きに見えるけど、決定的な時はやらない。
▲ 女好きに見えないけど、後ろではメチャクチャやっている。
  俺俺!

● マニアが多い。
▲ マフィアが多い。

● よく泣く。
▲ 一生3回しか泣かないとも言われる。
  生まれた時、父が死んだ時、母が死んだ時。

● マンガが好き。
▲ マン○が好き。

● 女にふられたら、きれいに去る。
▲ 別れ話をされたら1回ぐらいはストーカになる。
  そう言えば俺もやったな...

● 美味しい店なら1時間も並ぶ。
▲ 絶対並ばない。食べ物に関してはこだわりがない。
  辛ければ良い。

● イケメンというのがあってチヤホヤされる。
▲ そんなの許せない。
  ちなみに、カネだけ持てりゃ誰でもイケメン。
  ルックスだけイケメンは女からも許されない。

● 二股かける時はかなり気をつける。
▲ 女は当たりまえに3股ぐらいかけている。
  気をつける奴がバカ。

● 包茎手術殆どしていない。
▲ 殆どの男が見事なツートンカラー。俺も!

● 韓国に比べハゲがあまりいない。
▲ 俺がハゲだから多い気がするだけかな...

● ブスに厳しい。
▲ もっと厳しい。

● カネを自慢する。
▲ 女を自慢する。

● 不倫は文化だ。
▲ 不倫は生活だ。

● 長嶋茂雄さんのような英雄が存在する。
▲ 自分より出しゃばる奴は許せない。
  みんな自分が英雄だと思っている。

● カネ儲けたら家を買う。
▲ カネ儲けたら女を買う。

● 犬を利用してナンパした女とその晩やる。
▲ 女と一緒に犬を食べに行ってその晩やる。

● セックス時間の長さを気にする。
▲ 自分のモノの長さを気にする。

● 火事だ!と叫んだあと、外に逃げる。
▲ 外に逃げたあと、火事だ!と叫ぶ。俺...

● さよならと告げた後、次の恋を探す。
▲ 次の恋を探して置いた後、さよならを言う。
  これも俺...

● 女の分まで払います、
  と言われたた合コンには出ない。
▲ 女の分まで払います、
  と言われても、一応出て、気に入る子がいなかったら
  途中で自分の分だけ払って帰る。



続く...






● 第7話/25才の稼ぎ

1年に1000万円も貯金する親子の鬼のような稼ぎは噂になって町に広がった。それを聴いてカネを借りにくる知り合いの人達が日々増えていった。

しかし母は「子供が病気で死にかけてます、助けてください!」と涙でお願いするタバコ屋の若い夫婦にもカネを貸してくれなかった。

子供が可哀想と思った僕は内緒でカネを貸してあげたが、それがばれて母は一ヵ月も僕に口を聞かなかった。ある日クラブのママが厨房に顔を出して母にこう言った。

「カネがそんなに儲けたいの?だったら、そんなケッチしちゃ駄目よ!ケッチは大金持ちになれんよ!」とママは自分の帳簿を母にみせた。

ママはカネ使いが派手なホステス3人に100万ずつ、300万を貸して十日に10万、3人で30万円の利息だけで一ヵ月90万円を超える収入を指一本動かず手にしていた。

十日に1割の高い利息でカネを転がしているママの帳簿に書いてあった信じられない数字を目にした母は「今ね、借りたい子が、いっぱいいるんだけど、
私はもう余裕ないし、どう?ちょっとやってみる?」と、ママに誘われ、定期を崩してママが紹介してくれたホステスに百万円を貸した。

その夜、母の100万円がホストのお小遣いになってあっという間に消えたことが分った母は、カネ貸したことを凄く後悔してずっと眠れなっかったが、丁度十日後、母の100万円は110万円になって帰ってきた。

母は嬉しくてその週の日曜日、朝の仕事がなかったふたりは久しぶりに寿司を食べにいった。ベルトコンベアの上をくるくる回る旨そうな寿司を眺めながら「今日は贅沢しよう!」と、張り切って食べる親子の顔に久しぶりに笑顔が戻ってきた。

朝のビル掃除の仕事もやめてクラブママと本格的に金貸しをはじめた母は、2ヵ月後にはクラブの仕事までやめたので、僕と母が顔を合わせるのは母が寝ている時だけになった。

金貸しで月300万円の収入を手にするようになった母は、少しずつおじさんが生きていた頃の姿に戻ってきた。派手な服を身にまとって美味しいもの食べに行って、更に今までやったことがない夜遊びまではじめた。

2回目の全盛期を迎えた母をホストバーに連れ込んだのは今は親友になっているママだった。昔から男遊びが好きだったママは、自分よりカネの回りがよくなった母を誘ってホスト達に紹介した。

夫もいないひとりの金持ち中年女性、僕の母は、ホストバーに足を踏み入れた途端、若い美男子の甘い癒しと誘惑に深くはまっていって朝帰りの日が増え続けてた。しかしそんな母に僕はなんにも言えなかった。今までの母の苦労がホストたちの体に救われるなら、それで良いと思った。

僕が幼い頃見ていた母に蘇ったのように、知らない男たちと夜遅くまで酒を飲んで朝帰ってくる母は一見幸せそうにも見えた。陽が沈む頃起きて、ジョージョ園で焼肉を食べて、パチンコでクラブの閉店まで時間をつぶしたあと、ホステスから収金したカネをそのままホストバーに注ぎ込む毎日が、母の体に異常を起こしはじめた。胃に6つの穴があいた母は治療と療養のため、5年ぶりに韓国の故郷に帰った。




● 第6話/23才の鬼

僕が日本に来て2年になろうとした時、もうすぐ期限が切れる僕のビザのことで母はおじさんに相談をかけた。おじさんの養子になれば、長期ビザが取れることを知った母はその手続きをしている最中、おじさんが亡くなった。

遺書も、特別な約束も、なんにもなかったおじさんの急死に母は焦った。おじさんと一緒になってから派手にカネを使っていた母の噂は、別居中のおじさんの奥さんの耳にも届いていて無分別な母のカネ使いに遺族たちは心の底から怒りを感じていた。

僕が日本にくる前、母は焼肉屋をやりたいと言って、おじさんの土地を売って半年後に破産させた。その後すぐ、今度こそ成功させるからと、巨額の定期預金を崩して美容院をはじめたが、半年後には巨額のツケに踏み倒れ店閉まい。

ブームになった韓国の健康食品の輸入で2000万円、これは無許可密輸の上に不法医療薬品法違反で政府当局に没収された。毛布のねずみ子販売に騙され1000万等々。

母の前では孔雀鳥も羽を隠すほど美しい母だったが、頭は孔雀より悪かった。

母のせいでおじさんの財産は底をついた。別居中の奥さんと息子たちがお葬式に来るまで、母は金庫の暗証番号が書いたおじさんの手帳を二日徹夜で探していた。

お葬式の準備がはじまっても手帳探しをあきらめず、式場に姿を見せなかった母を探しに部屋に入った僕はバールでこじ開けられた金庫の隙間に手を入れて札束を取り出している母の姿を目にした。

僕はその光景がちっとも不敬には見えなかった。むしろ、誉めてあげた。母を助けて金庫からおじさんの最後の財産1700万円を僕の車の後ろ席に隠して式場に戻ってきた時は激怒したおじさんの息子達によって家から追い出された。

僕と母は新大久保の民宿で暮らしながらビザの解決と住まい探しに専念した。しかし、おじさんがいなくなったふたりだけの日本生活は大きく揺れていた。そして何にひとつも解決できないまま時間だけがすぎていった。

そんなある日、コンビニで黒い肌の赤ちゃんを抱いて食パンを買っている恵美に会った。「お~い!コリアンウェーター!」と、声をかけられなかったら、誰なのか全く分からないほど、派手に変わった恵美は昔と同様に無邪気で明るい声で僕を呼び止めた。

ルノアルでお茶をしながら今までのことを訊いてみると「旦那にね、子供できた!つったら、逃げられちゃったよ!』と、太い唇に大きい鼻穴をしたアフロ髪型の赤ちゃんを嬉しいそうに見つめる恵美は久しぶりの再会を本当に喜んでいた。

しかし「こどもがいると、仕事大変だね」と訊くと、僕に眼を合わせず壁に飾ってあるドイツ農村の風景写真をしばらく見つめて黙っていた恵美が、急に明るい声で「今、仕事ないのよ!」と、残っているコーヒーを飲み干した。

僕もしばらく写真を見つめて「じゃ、俺と結婚すればいいじゃん!」と、冗談をいうと「できるわけないじゃん!」と笑いながらも、店を出る時は自分の携帯番号を書いたナプキンを僕の手に握らせて2回も「電話してね」と振り向いてパン屋を出ていった。

その寂しいそうな後ろ姿になんとかしてあげたいと思った僕は車を売った150万円で恵美の戸籍を買った。

書類上、夫婦になったふたりは出入国管理局で結婚ビザを申し込むと、恵美は赤ちゃんの父を探してアメリカへ発った。そのあと僕は母を連れて恵美のマンションに半年間払えなかった家賃を肩代りして引っ越した。

結婚ビザが届いた日、ようやく安定を取り戻した僕はクラブの仕事に専念する一方、朝の副業もはじめた。母も僕のクラブの厨房で働くようになってからふたりの貯金は雪だるまように増えていった。

1500万残っていたおじさんのカネが、半年後に1900万、1年後には2500万円になった。ふたりは日常会話もなく、朝起きると僕は工事現場に母はビルの掃除に出かけ5時ごろ帰ってきて二人とも夕ご飯を食べず、30分歩いてクラブに出勤する生活が永遠のように続いた。

そんな生活が母と僕を少しずつ変えていった。気付かないうちふたりはカネの鬼に化けていた。

本来なら、ホステスがもらうチップもママに圧力をかけ営業終了後没収、スタッフ全員均等に割るという口実でホステスのチップまで手に入れた。営業が終わると、客が残したつまみを持ち帰って朝ご飯にそして昼のお弁当まで作った。

夕ご飯は店で密かに食べた。母はおじさんが亡くなった後、昔の姿に戻っていた。韓国での辛い思いを胸奥に隠していた母は、カネだけを頼りにすべてのことには心を閉じてしまった。その母を一番理解している僕は鬼のようになった母を見守るしかなかった。




● 第5話/22才の遊び

仕事もせず、日本語勉強を口実に毎日ビデオを見ている僕。映画プリティウーマンの男の主人公が街の売春婦にビバリヒールズホテルを訊いてナンパする場面ですごく感動する。

僕は映画に出た同じ車を買う決心をし、再び仕事を探しはじめた。

数日後、店長候補の面接でいった韓国クラブの隣の中古外車屋でその車を見つけた僕は、母に韓国と中古車輸入事業をはじめるからと嘘をつき、資金100万円を貰って車を買いにいった。

しかし、車の窓ガラスに貼ってあった100万円は頭金のことだった。3日後、韓国クラブの就職が決まり働きはじめた僕は、月25万の4ヵ月分給料と、鬼のように集めたチップ、母から騙し取った100万円を高島屋の紙袋に詰めてまた車を買いにいった。

しかし400万もする値段を必死で値切っても一切応じてくれないオーナーの後ろから黙って僕を見ていた店員がオーナーがトイレに行った隙に僕を裏の車庫に連れて150万も安い色違いの同じ車を見せてくれた。

「見た目ではきれいだけど、たまに調子悪くなる時がありますから」と、卑屈な顔で笑っている店員に「車は中身よりルックスです!」と言い返し、更に50万円を値切って紙袋を渡し、車の鍵を手にした。

「調子悪くなったら電話くださいよ」とまた卑屈な顔で笑う店員に「あんまり電話したくないですね!」と僕も卑怯な顔で返事し、最高の気持ちで帰ってきた。

1995年、5月11日、生まれて初めて買った車は、2人の死亡事故を起こした92年式の白いロタース、エスプリだった。

おじさんのジャガーを車庫から追い出して夜中2時まで「うめのすずき」を歌いながらワックスをかける。

韓国クラブの近所に月3万5千もする駐車場を借りて仕事が終わると車に乗り込んで映画を真似したナンパをはじめた。

車の中で「うめのすずき」が聴きたくて、何回もCDショップにいってみたが、結局見つからず他のCDばかり買ってきた。

夜12時から朝陽が昇るまで「うめのすずき」を歌いながらナンパの獲物を探している一匹の狼の前に一匹のキツネが現れた。恵美だった。

美容院の前で携帯電話をしている恵美の前に車を止め、半分開いた窓から「田園調布はどちらですか?」と、真剣に聞く僕のバカヅラをみて思わず笑ってしまった恵美は、昼頃には「あんた面白いね」と体を許してくれた。

ベッドの上でたばこを吸いながら「黄色ソーセージを食べたのは10年ぶりだわ、意外とうまいわね」と、黒人と結婚していた恵美とはそれ以来、たまにセックスする関係になった。

アメリカ育ちの恵美は「あんたも一応外人だから入れてあげるね、ただし後ろだけよ、前は黒人専用だから」と外人好きだった恵美とはそんなに長く続かなかった。

いつも金に困っていた恵美は派手な車を乗り回してきれいな韓国ホステス達と夜の街を遊び回る僕を見て、在日のお坊ちゃんぐらいに思っていた。後で分ったが、恵美は近所の外人専用クラブのホステスだった。

お互い隠していたことは何にもなかった。僕は恵美のブラージャーの名柄は覚えていても名字は覚えていなかった。恵美も僕をリチャードと呼んでいて本当の名前は知らなかった。

ある日偶然、恵美は外人客と一緒に僕の店に遊びにきた。
玄関で出迎える僕と目があった恵美。

「ウェーターだったんだ・・・」
「ホステスだったの?・・・」

その会話を最後にお互い連絡をすることはなかった。




● 第4話/21才の受難

口の中で「うめのすずき」を歌いながら飛行機の中から眺める雨の成田空港は、美しい色で輝いていた。後で分かったその色の名前は「スカイブルー」だった。

黒い顔のおじさんと空港まで迎えに来た母は、乗ってきた車のサンルーフを開けたり、閉めたり、自分とおじさんの髪が雨で濡れることも忘れて僕に自慢していた。母は、金持ちになったように見えた。

ジャーガという車の後ろ席から見える日本の街はとてもきれいだった。ほこり一点なく、走る車はみんな新車のようにピカピカ。ソウルでは駅の前にしかない自動販売機が、あっちこち何台も並んでいた。コーラしか飲んだことがない僕にとってファンタの味は感動的だった。

田園調布の高級住宅地をすり抜け、車庫のシャッターが自動に上がっていく家の前に降りた僕は、車が車庫の中に入ると、再び自動に降りてくるのを見てまた感動した。アメリカから帰ってきたウタダヒカルも僕と同じ感動をしてAutomaticを書いたかも知れない。

母と2階の部屋に上がってきた僕は恥ずかしいものばかりの荷物を整理したあと、風呂に入った。

母は「体にいいから」と、お湯の中に白い粉をぶち巻いた。牛乳みたくなったお湯がとても気持ち悪かったが、外で「温泉どう?」と、嬉しそうに訊く母のため、我慢して10分も入った。

風呂から上がると、台所で待っていたおじさんが、
「日本では風呂あがりには必ずこれを飲む!」と、イチゴ牛乳を渡された。

ふたをあけて飲みはじめると、僕の左手を持ち上げ腰につけながら「牛乳を飲む時は、必ず左手を腰につける。忘れるなよ」と、不気味に笑いながら台所を出ていった。

僕はさっきまで浸かっていたお湯とイチゴ牛乳が、同じ色に見えたので、吐きそうになりおじさんの大事な盆栽に捨てた。

夜、母が二日前から用意してくれた夕食を残さず食べ切った僕は、お腹を壊し、深夜まで便器の上に座っていたが、暖かいワォシュレットの上では気持ちよく何時間も座れたので、下痢が止まった頃には朝日が昇っていた。

昼、寝不足で「行きたくないよ!」と、布団の中で抵抗する僕を無理やりタクシーに乗せた母は「洋服なんか要らないし、似合わないよ!」と、言い張る僕を新宿のデパートに連れてて、数着の有名ブランドのスーツと靴をおじさんのカードで買ったあと「高い店屋なんだから、少し我慢しなさい」と、行列ができているそば屋に連れて行った。

しかし、待つことを嫌がる僕を30分も待たせて食べさせてくれた「そば」が、あまり美味しくなかったので「ここはキムチないの?」と聞くと、僕のわがままに忍耐の限界を超えた母がその怒りを爆発した。

「だったら、帰れ! 韓国に帰れ!」と、びっくりして見ている周りの人を気にせず、口から雨のように唾液を飛ばしながら、思いっきり韓国語で説教をはじめた。

「今、買ってもらわないと、またいつ買ってくれるか分かんないでしょ!今、いっぱい食べとかないと、いつまた貧乏になって腹ペコになるか、分からないでしょ! だから、今、食べないと、駄目なのよ!・・・だから・・・」

涙で埋った母の声が、僕の胸を刺した。鼻水でしょっぱくなったそばを全部食べて店を出るまで、店の中はお寺のように静かだった。

夜、駅前のCDショップで「うめのすずき」を探してみたが、歌手の名前を忘れたので見つけることが出来なかった。

3人で夕食を食べていた時、お金を稼ぎたいと言ったら、おじさんが、自分が下請している日給2万4千円の工事現場に明日でも連れていくと約束してくれた。

まだ、陽も昇ってない暗闇の朝、おじさんの作業服を借りて大型ワゴン車の助手席でおじさんの仕度が追わるのをを待っていた僕は、昇る朝陽を見つめながら、昨日の母が流した涙の意味を考えてみた。

その時、運転席に座るおじさんの黒い顔が1万円札の福沢諭吉さんに見えた。
「なるほど・・・」僕は母が分ったような気がした。

人が沢山並んでいる街をすり抜け、コンビニの前で待っている6人のおじさんを車に乗せて工事現場に向かった。長い一日がすぎて仕事が終わった頃、母とおじさんが迎えに来てくれたが、僕は手を振る力も残っていなかった。

仕事が始まる前、軍隊で鍛えた体を自慢しながら、内股の貧弱そうなおじさん連中をバカにしていた僕は、仕事がはじまってから終わるまで、そのおじさん達に散々バカにされたあと、帰り際には「迷惑だから、明日から来ないでくれ!」と言われたが、その言葉の意味を分からなかった僕は、「明日はレッカーを運転してみたい!」と、親方にお願いして帰ってきた。夜、おじさんの話を聴いて自分がバカにされたことにやっと気が付いた。

バカにされたことが悔しくて絶対仕返してやろうと思っていた僕は、朝9時になっても起きられず、結局仕事に行けなかった。部屋で苦しい顔をして寝ている僕を心配そうにみていた母が、下でおじさんと喧嘩をはじめる声が聞こえたが、僕はそれを気にするところではなかった。

三日後、母に酷く叱られて顔がもっと黒くなってきたおじさんが他の仕事を紹介してくれた。しかし日給が1万5千円の安い割に、きついのは大して変わらなかったが、周りの連中が気の弱い奴ばかりで、苦手だった日本語も一言しゃべらず、気楽で働くことができたので、我慢して仕事を続けた。

3ヵ月後、上々に体を慣らして再び2万4千円の仕事に戻ってきた僕はまわりの嫌な視線を無視しながら黙々と仕事を続けた。韓国の軍隊で1ヵ月4万7千円だった僕の給料がいきなり50万円に跳ね上がり、通帳の残高が信じられない早さで増えていくのを目のあたりにした僕は、ここから二度と首にならないように必死働いた。

酒も、たばこもやめて体に気をつけながら、貯金することだけを考えた。

しかし、仕事をはじめて半年がすぎても、まだ日本語が全然分からない僕に、指示することができず、簡単な仕事しかさせなかった親方のストレスは益々大きくなってきた。更に日本人でさえ手にすることが難しいこの美味しい仕事に、言葉も通じない外人が突然入ってきて簡単な仕事ばかりやっていることに不満を抱いていた連中がようやくその本色を表わしはじめた。

最初の頃は、道具を隠したり、お茶にわさびを入れたり、かわいもんばっかりだったが、僕が我慢すればするほど、その酷さがエスカレートしてきてその中でも僕に一番不満を抱いていた奴が自分が盗んだ木材を僕がやったと噂を広げ、結局会社から「日本語が通じないから」と、口実をつけられ、僕は解雇された。

仕事が終わる頃、コンビニの前で待ち伏せていた僕は、事務所から出てきた奴を軍隊で習ったテコンド4段の立派なたちまわりで、前歯から奥歯までゆっくり時間をかけて正確に叩き潰した。
1週間後、警察署で奴と合意したあと、450万円あった通帳の残高はゼロになった。

その夜、悔しくて悔しくて何時間も通帳の残高数字の0を見つめていた。そのうち、通帳に書いてあるひらがなとカタカナを覚えはじめた。

次の日も部屋にこもって、コンビニで買ってきたエロマンガを徹夜で読みながら文章を勉強した。
昼にはリビングにあるカラオケマシンで歌いながら字幕に出てくるルビを読んで漢字を覚えた。

悔しい気持ちで覚えた日本語は一ヵ月もたったないうち、テレビニュースが分かるようになり、
宅急便のお兄ちゃんと冗談を通わすぐらいまでになった。




● 第3話/15才の試練

父が居なくなったことに気がついた暴力団の連中は、父の印鑑が押された譲渡証を見せて、何にも知らない母を車に乗せて去っていった。そして4日後、僕の家に4人家族が引っ越してきた。

4人家族を連れてきた暴力団の連中は「僕の家だよ!僕の家だよ!」と、泣叫ぶ僕を軽く持ち上げて玄関外に投げ出した。

高校入学が決まっていた僕は、その日から家を離れることもなく、学校にも行かず、裏庭の畑の隅にあった犬小屋で乞食しながら1年も母を待ち続けた。

そんな僕を、僕の部屋に引っ越してきた74歳のおじいさんが見守ってくれた。

犬小屋に住んでから半年目になる頃のある日、犬小屋の天井で気持ちよく寝ていた僕に「ちょっと、来い!と、おじさんが声をかけてくれた。

大根畑になってしまった裏庭で仕事を手伝うようにしてくれたおじいさんが仕事が終わると、まだ誰も帰ってない家の中に僕を連れててお風呂に入れてくれた。

次の日も、次の日も、僕はおじいさんの畑で仕事をしてお風呂に入ってキムチとご飯を食べさせてもらった。

ある日おじいさんがこう言った

「わしらも家がないんだ、おまえのかあちゃんが帰ってくるまで、お世話になります」

母が居なくなって3年目になる日、今まで僕を「おまえ!」としか呼んでなかったおじいさんが初めて名前を訊いてくれた。

「李建一です」と、答えると「いい名前だ」と、誉めてくれた数日後、無口だけど、優しいかったおじいさんが亡くなった。

3年前、玄関から投げ出された夜「犬を飼うまでここで寝な!」と、おじいさんが建て直してくれた犬小屋も、お葬式が終わった夜、デブの娘に燃やされた。

悲しくて、悲しくて、畑で泣いている僕をまたデブの娘は警察を呼んできて家から追い出した。
おじいさんの死んで、すぐ訪れた18歳の誕生日の朝、僕は母に会えないまま一人で生きる為、自願して軍入隊をした。

皆には地獄、僕には天国。

暖かいベッドと、一日3回の食事が嬉しくてたまらない3ヵ月間の訓練もあっという間に終わって初めて許される家族面会の日、同期たちは久しぶりに会う両親の前で大粒の涙をたらしながら大人を忘れて大声で泣いていたが、僕はそんな同期達を眺めながら事務所の中で専業軍人として残りたいと申込み書類を書いていた。

訓練所生活もあと1日、配属を待つ同期たちは「父が知り合いの将軍に賄賂を渡してあるから、きっと楽なところに行けるよ!」と、夜遅くまでお互いの親の自慢話しで盛り上がっていたが、父もなく知り合いの将軍もない僕は「人生、そんな簡単に行かないぞ」と、やつらの話を心の中から軽蔑していた。

僕は、明日の配属発表で「ほら、じゃまみろう!」と、みんなの歪んだ顔を期待しながらベッドに入った。

翌朝、掲示板の前に集まっていた同期達が、後で現れた僕に「きっと、いいところだよ!」と、慰めながら顔では笑っていた。

僕は、年に3人行くか行かないかの最北端軍事分戒線地雷捜索部隊に配属された。

それと反対に、同期達はソウル付近の一般会社同様のヘナチョコ部隊に配属され喜びを隠せなかった。

運動場で待機している出向かいバスも、やつらは新車の冷暖房がしっかりついてある高級バスで、僕のバスは窓を縦に開ける昔アメリカのスクールバスに色だけ塗り替えた最旧型だった。

こんなのあり得ない...
バスの中でコーラを飲みながら僕に手を振っていた同期たちの顔が今も忘れない。

親の金で人生の勝利者になったように見える同期達の顔が、中学校しか出なかった僕の頭の中では理解不能な出来ことだった。

配属部隊に向かって山の中を6時間も走っている中、イノシシの群れにバスが襲われる大騒ぎの真っ最中でも僕は同期達がバスの中で飲んでいたコーラのことを考えていた。どんな味なんだろう。

僕はコーラ中毒になった。
零下20℃を下まわる寒い冬でも、山奥の監視小屋でガスバーナーにコーラを暖めて飲んだ。
それを気持ち悪そうにみていた後輩も半年後にはコーラ中毒になった。

日本に留学したことがある後輩は、いつも日本の歌を聞いていた。
安全地帯の「夢の続き」だった。

夜、監視小屋に警戒をする時は、必ずカセットを持ってきて「この曲いいでしょう」と、「夢の続き」を聞かせてくれた。歌詞の意味も分からないまま、メロディーが気に入った僕も無意識に歌うようになった。
曲名を聞くと、「ゆめのつづききです」と、教えてくれたが、寒い小屋の中で口が凍っていた後輩の声が「うめのすずき」と聞こえた。

それ以来、僕は「ウメノスズキハ、コモラム、キネンノユワビ。。。」と、意味不明の歌詞を口にする癖がついた。

専業軍人になって3回目の冬が過ぎ、同期達もみんな出て行ったあと、教官になって新米の訓練準備に追われていたある日、面会所に母が現われた。

僕を探しはじめてから2年、やっと見つけた6年ぶりの母は、昔よりきれいになっていた。
そして、母の隣に立っている真っ黒い顔をした在日韓国人のおじさんをパパと紹介した。

おじさんのお陰で僕を見つけることができたと、本当に喜んでいた母は、一緒に日本で暮らそうと、田園調布1ー30ー4と書いてあるメモを僕に手渡した。

「おじさんが金持ちだから、もう私たち貧乏しなくていいから」と、涙声で言った母が日本に発った次の週、軍に辞職届けを出した僕は2ヵ月後、成田空港についた。

ポケットの中には両替したばかりの3千円が入っている。




● 第2話/14才の記憶

翌年、貧しい生活に耐え切れなかった父は、家を担保に入れ銀行からお金を借りて干イカの小売店を開いた。

しかし、母の予想通り商売はうまく行かなかった。イライラしている父は、店の前を通る産業道路の脇道に沢山の運転手がトラックを停めて休んでいるのをみて、テーブルを出して焼いた干イカをつまみに焼酎を売りはじめた。

カッとなりやすい父の性格が怖くて母は一言も言えなかったが、焼酎の仕入れでまた借金したことでひどい便秘になっていた。

この商売は当った。

交通量の少ない産業道路に深刻な渋滞を巻き起こすほど伸びていく売り上げのお陰で週に一回は家族みんなで外食もいけるようになった。

そんなある日、父は白バイクに渡していた賄賂が、店の売り上げより多くなってきたことで焼酎売りをあきらめた。その代わり店の倉庫を改造して「はなふだ」をする賭博場を開いた。

場所代を取らない代わり、たばこ千円、干イカ2千円、焼酎3千円、そしてアンパンを1千500円で売りはじめた。

このことで母の便秘がまたはじまった。焼酎商売のお陰で脂がのった肉を食べるようになってから、ずっと下痢をしていた母は「下痢より、便秘のほうがトイレに行かなくていい」と、言いながらも、父の新しい商売を心配していたが、幸いこれもまたうまくいった。

賭博場の初日の売り上げは、焼酎売り上げを4倍上回った。昼も、夜も、そして深夜も、アンパンは飛ぶように売れ、母は足りなくなったものを買いにいくことでいつも忙しかった。

寝る暇もないほど忙しくなった賭博場は、幼い僕までに仕事が回ってきた。
体が小さかった僕は、客の後ろに座って一万円の両替に9千500円を渡し、客が欲しいものを走って買ってきて、そのおつりをポケットに入れた。

この頃、母の便秘は再び下痢に変わっていった。しかし繁盛していく商売の裏腹に大勢の人が父を恨んでいた。高級車を乗ってきた人が、金はもちろん車まで取られてバス賃もなく歩いて帰る人が多くなってきたのを見て、母は少しずつ不安を感じはじめた。

父は客の車を担保に金を貸し、期間内に返せない場合は車を処分してお金を回収した。

しかし、高級外車は処分に時間がかかるため、店の裏庭には高級外車でいっぱいになってきた。このことは商売の金回りがよくないことで昔のような貧乏生活がまた始まろうとしていた。

しかし、車好きの父は、車を金に替えることよりも色んな外車に乗れることが嬉しくて客が来ない日は一日中お気に入りの車にワックスをかけていた。

いつも不安そうに父を見ている母の視線を感じた父は、ある夜僕と母を励まそうと、預かっていた外車の中で一番豪華な車に母と僕を乗せ市内に出かけた。

家を出てから戻ってくるまで、何千人、いや、何万人が僕だちをどんなに羨ましい目でみていたのか、今も鮮明に覚えている。

あの外車に乗っていると、貧乏じゃなくなっていた。

車の窓ガラスから見えてくる夜空は、まるで昼のように真青だった。そんな時もあっという間に過ぎて母が心配していた通り、愛車をなくした人たちの通報で警察が僕の家に目を張るようになってから賭博場に客の足が途絶えた。

そして賭博場は廃業寸前まで追い込まれていった。

今までは「やると、離婚よ!」と、母の猛反対で博打をやらなかった父も稼ぎを口実にはなふだをやるようになった。

しかし、本当の理由は愛人ができたからだった。干イカにも、賭博場にも、そして母にも疲れていた父は、一獲千金をして愛人と夜逃げするつもりで家と貯金そして母まで賭けた最後の博打で、暴力団が仕掛けた罠に見事にはめられ、愛人を愛車の中に置いたまま、便所の小さい窓を潜り抜けひとりで逃げた。





● 第1話/幼いごろの記憶

1975年、韓国ソウルの下町。
僕はゴムボールを壁に蹴りながら、父の帰りを待っていた。
今回は多分難しいだろうと、沢山の親戚が産室の前で心配していたが、僕はいとこ達と遊べるのが嬉しくて、外で騒いでいた。

沈む夕日に、僕たちの影が細長くなってきた頃、家の前に立っていた隣の姉ちゃんが知らない男と家に入っていった。すると今度は、姉ちゃんの友達が家の前に立ってタバコに火をつけた。

父が帰って来た頃は、彼女も知らないおじさんと中に入って家の前は誰もいなくなった。
僕が父にだっこされ産室に入った時は母が泣いていた。

みんな泣いていた。

まだ名もない弟は、父に会えることもなく、白い布に巻かれ、木の箱に入れられた。
まだ秋の香りがする12月の夜のことだった。

部屋の窓から手を伸ばすと、隣の窓に届いて、少し体を傾けるといつも家の前に立っているお姉ちゃんの部屋が覗ける。母が居ない時は窓にぶら下がって姉ちゃんの部屋を覗くのが楽しみだった。

男が部屋に入る度、服を脱ぐ姉ちゃんの白い胸が、まだ小さい僕の体と心を複雑な気持ちにさせた。

僕は、姉ちゃん達がいつも立っている家の前の細長い道路を、まだ解るはずもない不思議な感情を抱えて日が暮れるまで走り回っていた。

僕の家の裏には小さいハゲ山があって父は毎朝僕を連れて山奥の牧場に 絞り立て牛乳を飲みに行った。
今思い出してみるとその牛乳は粉ミルクにお湯を入れただけの偽物だったが、何故か父は黙って飲んでいた。

仕事が無かった父は、母が起きる昼頃までいつも僕と山で遊んでくれた。
兜虫をとってくれたり、キャッチボールをしたり、父はまるで兄のようだった。

小学校を卒業する頃、都市開発に追われた僕の町は、撤去された。
ショベルカーが町の入口に現れた朝、母と隣のおばちゃんは、僕より大きいガスボトルを背負ってまだ火が付いてある墨箱を持って家を出ていった。

道路が閉鎖されたため、僕は武装警察が一列に並んで弁当を食べている裏山を超えて学校に行った。

そして学校から帰って来た時は、僕の家も、となりの姉ちゃんの家も、弟が死んだ助産院も、みんな亡くなっていた。

その夜、母は天井も無い石だらけの台所でひとりで泣いていた。
翌朝、テントの中で目が覚めた僕は、まだそこに座っている母の姿を見た。

墨箱の火が消えるほど酷い雨が続いた夏が終わる頃のことだった。お陰で母は生きた。

しばらく区役所の施設に住んでいた僕と母は、ソウルから少し離れた田舎町へ引っ越した。
国から貰った賠償金で買った土地にネギや白菜を植え冬を乗り越えるためのキムチ作りをしている母を見て僕はこの田舎町がとても気に入った。

町が撤去された日、姿を消していた父が突然戻ってきた。
僕はすごく嬉しいかったが、母は父に怒鳴りつけ家から追い出した。
悲しい顔で玄関を出ていく父が、僕にくれた玩具の腕時計を握って泣きやまない僕に、母がまた怒鳴った。

「おまえの名前は李建一!あの野郎は朴星浩!おまえの本当のパパはママを捨てて女と逃げたんだよ!」

その母の一言が、今も忘れられない。
ショックで凄く悲しかったけど、母から買ってもらった本物の腕時計で、悲しみも三日で消えた。

このとき、僕ははじめて父の名前を知った。そして親戚からこんな話を聞いた。

「母は、田舎で塩畑をやっている父を捨て、まだ赤ん坊の僕を連れて男とソウルに逃げた」

本当は、父が僕たちに捨てられた。

一年後、また新しい父がやってきた。
この前の父と違って、毎朝仕事に出かけ夜遅く帰ってきた。
父は働きものだった。
が、何故か貧しい生活は続いた。
でも、僕は母といる時間が長くなったことが嬉しくて貧乏でもいいと思った。
昔、知らない男たちと夜遅くまで酒を飲んで、昼まで寝ていた母の姿が見えなくなったのだ。

そんなちょっとした幸せが、まだ幼い僕の心にも伝わりはじめた頃、近所の大根畑にオリンピック競技場が建てられることになってから、静かだったこの町は、冷蔵庫の中までほこりだらけになるほど修羅場になっていった。

家の前の道路は遠くからでも、ホコリの舞い上がりで車が来ることが分かったため、寒い冬には暖かい家の中で学校のバスを待っていた。そんなホコリだらけのバスに乗って毎日僕の家を訪れるハゲおじさんがいた。

「今この家を売れば、もっといい家が買えますよ」

と、外国菓子やジュースを3ヵ月間、毎日のように持ってきて母と僕を喜ばせたそのハゲおじさんに、父は春が終わる頃家の鍵を渡した。

そして「国の開発計画が進行中だから、年内に土地の値段は10倍に跳ね上がりますよ」

と、おじさんに勧められた庭だけ広いボロ家を借金までして買った1年後、その開発計画はゴミ処理場建設であり、土地の値段は5分の1になった。父は今もそのおじさんの行方を追っている。


1月
あー疲れた、











1/1 「あけおめ!ことよろ!」
   と義父に言ったらムッチャクチャ怒られた。
   訳がわかんない。
   みんな使ってるのに...


1/3 日本語で「喉チンコ」ってありますね、
   どう見ても形的にキン玉に近い。
   だから「喉キン玉」が正しいと思うんだけど、
   そう思ってるのは僕だけ?


1/8 相撲を見る時
  「残った!残った!」が、どうしても
  「たらば!たらば!」に聞こえる。

   カニ食いて~!


1/13 次男の名前は「勘助」です。と、言うと、
   必ず笑われる。

   なんで?... 誰か教えて!


1/16 「ご愁傷様です」を間違って、
   「ごちそう様です」と言った時がある。

    それを妻に言ったら「私も!」と、返ってきた。
 
    こいつもとんだアホだ。


1/20 めっちゃ、浮気したいけど、
   超~格好悪いからできない夫、
   いつでも浮気できるけど、
   夫を信じるからしない奥さん。
   こんな夫婦はきっと幸せだろう。

   僕、幸せ...


1/25 今までバカにした男にバカにされた女。
   この日、女は人も殺せます。

   昨日、係長が奥さんに刺された。
   ゴルフの途中でお見舞いに来た課長が
   「土曜日に刺されるなよ!」と、怒った。
   バカバカしい世の中だ...


1/28 ニュージーランドから母が来たので、
   2時間かけてtokyo disneyland に遊びに行ったが、
   あまりにも遠かったので怒られた。

   「東京じゃないじゃん!ここ千葉じゃん!」
   「なんで、嘘つくんやん!」
   「素直にchiba disneylandって言えよ!」
   「お年寄り苦労させんなよ!」

   僕は川崎に住んでいる。
   歳をとると怒りっぽくなるのは知ってたけど、
   どっちが悪いんだろう...