● 第10話/28才
背中のいれずみがとてもきれいだった美人ママに誘われ、再び店長候補として美人ママのクラブで働くことになった僕はクラブ付近のマンションに引っ越して新しい生活を始めた。
韓国でこの話を聞いた母も、夜逃げしたママ探しをあきらめて日本に戻り、美人ママのクラブの厨房で働くようになった。美人ママは、今まで見てきた数々のママの中で、一番品が良く、人徳が溢れるやさしい人で僕を実の息子のように接してくれた。
そんな美人ママのために、僕は様々なアイディアを出し、恩返しをした。数え切れないほどある美人ママの古着をホステスにレンタルして副収入を上げたり、日本人客のために店の中では韓国語を喋るホステスに罰金を払う規則を作ったり、今まではいい加減に扱っていた遅刻、欠勤への罰金を徹底に徴収するなど、ホステス達に払う給料を50%も節約することを実現させた。
ほとんどのホステスが僕の仕事にイライラしていたが、その中でたった一人、僕のやり方を歓迎するホステスがいた。それがミヘだった。昼は日本語学校に通い、夜はパートタイムホステスをやっているのミヘはとても可愛いくて特別な存在だった。
韓国語罰金も払ったこともなく、謙虚で、誠実で、頭が良くて、店では最初で最後の大学出身で、なんでも一生懸命に学ぼうとするミヘは僕のやり方でホステス達の悪い癖を治してくれると期待していた。
ある日、アメリカ人のビジネスマンが店にきた時完璧な英語で友達のように話すミヘの姿を見た中卒の僕は底知らぬ片思いに落ちた。店では経験も歳も一番下だけど、売り上げは常にベスト5に入るミヘは「沢山貯金して韓国で、子供の英語、日本語塾を開きたい」と、いつも言っていた。
そんな彼女に対した僕の感情は益々深くなって、店が終わってお客さんと食事に出て行くミヘの後ろ姿を見つめながら辛い思いをする毎日になった。
たまに食事に誘われて一緒にいった時にも一言も喋らず、なんにも食べられず「どうしたの?」と、訊かれても『あ、お腹いっぱいだから。。。」と、クッパを見つめているだけだった。
母もそんな僕の気持ちを分かってミヘだけには特別扱いをしてくれた。ミヘなら、嫁にきてもいいと言ってくれた母は様々な手段でミヘを引っぱってきた。
キムチを作った時は必ずミヘの分を取って置いてほかのホステスには内緒で食べさせるのを見ると、ミヘに新しい母ができたようだった。
昔のような派手な生活をやめてコツコツ貯金をしながら静かに暮らしていた母は、そろそろ僕を結婚させミヘと3人で韓国に帰りたいと思っていた。そのために母は再びカネ貸しをはじめたが、今度は信用できる人だけ、利息も安くしていた。
僕も母同様、お金をためて韓国に帰りたいと思いはじめた。だが、それは僕だけの夢ではなかった。店のホステスもみんな同じことを考えながらお金をためていた。みんな成功して韓国に帰りたいと思っていた。
そのため、彼女達はいろんな工夫でお金を集めていた。その一つが「ゲ」をやることだった。「ゲ」は、仲間同士で大金を作る方法で一ヵ月に一回、20人ぐらいのメンバーがお金を出し合い、くじを引いて当たった人が順番ごとでお金を持っていく昔からの女同士のお金の運用方法だった。
だが、日本ではちょっと違う形で行われていた。カネ使いが荒いホステスたちはいつも急銭が必要だったため、くじを引く代わり、自分が払う利息の金額を書いて一番高い利息を書いた人がそのお金を持っていく方法になっていた。
20人のホステスが一人10万円の「ゲ」をやる場合、200万円の金が集まる。その200万円に対して自分が払える利息を各々書き、リーダーがみんなの前で発表する。その中で一番高い利息を書いた人が金を持ってことになっていたが、20人の中では急にお金が必要になった人が必ず2、3人いるため、いつも競争的になってしまい、どうしてもお金が必要な人は4、50万円の高い利息を書いてお金を手にしていた。
もし50万円の利息が出た場合それを20人で割って分配する。50万円を20に割ると、2万5千円。結局、残りの19人は10万円ではなく7万5千円だけ払えばいいことになる。それが20回集まってすべての人がカネをもらえば、その「ゲ」は終了するという仕組になっていた。
「ゲ」には必ず主催者のリーダがいてリーダは一番最後にカネをもらうことになっているので利息は払わなくてもいいが、その代わり「ゲ」の運営や途中でカネだけもらって逃げる人を探すなど「ゲ」が無事に終わるまで参加者を徹底に管理する義務があった。
もし、逃げた人が出た場合、リーダが責任をもってその穴を埋めることになっていたので、大体の場合、ホステスたちは信頼できる店のママがリーダを勤める「ゲ」に参加していた。僕のクラブにも美人ママが仕切る「ゲ」があって僕も、ミヘも、みんな参加していた。
しかし、美人ママの「ゲ」では利息を分配せず、ホストクラブでみんなと中良く、遊ぶことで飲み代にまわしていた。その「ゲ」をやる20日、僕を含めたメンバー全員が早めに店を閉めて隣のホストクラブに遊びにいった。
その時、僕は偶然、昔のルームメートをスカウトしたホストに会って姿を消したルームメートのことを聴いた。ルームメートは数百個の使い済みのコンドムで口と喉をきっちり塞がれたまま、性器が切断された状態で大阪の海で発見されたと、そのホストが半分笑う顔で僕に言った。
テーブルに戻ってきた僕は酒が喉を通らず、ただ「大阪の海は悲しい色やね」をみんなにバッシングされながらも、何ん回も、何ん回も歌い続けた。
重い気持ちが晴れないまま、みんなとホストクラブを出てきた時「明日、ディズニーランド行かない?」と、誘うミヘの一言で、ルームメートのことなんか完全に吹っ飛んでしまった。
翌朝、孫誕生の希望に満いた母の強力な応援を背負って家を出た僕は、まだ日も昇ってない暗い駅のホームの中で約束時間になるまで小林製薬の文字が書かれてある鏡を見ながらいつもの決めセリフを練習した。
15分遅れてきたミヘにさっき練習した決めセリフを連発しながら母が用意してくれた美味しいキムチ入りの特上弁当を満員の出勤電車の中で一緒に食べながらディズニーランドに向かった。
ディズニーランドで初めてミヘの手を握った僕は、手の平にすぐ汗が染みてくるため何回も手を拭きながら握る直すのを見て、ミヘは手と手の間にハンカチを挟んでくれた。
ふたりはまるで恋人のように上々に暖まっていった。その時、スペースマウンテンの前で偶然、目の前に現れた運命の女、書類上の僕の奥さん、恵美がいた。4年ぶりの恵美の腕の中には半分白人の顔をしている赤ちゃんが寝ていて、
その隣で5歳になったアフロ頭の黒い顔をした超可愛い子がアイスを舐めていた。
50分待ちのスペースマウンテンの列にミヘひとり待たせといて、僕は恵美とカフェで、今までのことについて聴く事にした。彼氏を探しに行ったアメリカで、逃げ回る彼氏の居場所を密かに教えてくれた彼の元会社の同僚とできちゃって、しばらく同居していたが、避妊失敗で子供ができてしまい、結局、彼にも逃げられ、ふたりの子供だけ連れて日本に戻ってきた恵美は「今はずいぶん落ち着いたよ」と、言っていたが、冬なのにまだ夏の服を着ているアフロ頭の息子の姿に僕の気持ちは複雑になった。
猛スピードでジェットコースターの上を走っているミヘに携帯で謝ったあと、僕は恵美とふたりの子供を連れて家に帰ってきて母を唖然とさせた。
戸籍上だけの、しかも色違いの、ふたりの孫を複雑な気持ちで見ていた母は「お母さんのビザ更新の時も保証人になってあげるわよ」と、恵美の話で少し柔らかくなった。やっぱり子供は可愛いもの。すっかりバーバ気取りをする母は、夜には腕を振る巻いて恵美が大好きな韓国料理を作ってくれた。
アフロ頭も「辛い、辛い」と、いいながらキムチ一皿を全部食べた。夜遅くまで遊んでいた子供たちも、ぐっすり眠って「遅くなってすみません、もう帰ります」と、ふたりを抱いてタクシーに乗り込む恵美のポケットに30万円を入れると、恵美は喉がつまってなんにも言えず、大粒の涙をこぼしながら去っていくタクシーの後ろ窓から何度も何度もおじぎをしていた。
寝る前母は「恵美の鞄の中に20万円を入れといたよ」と、僕に自慢していたが、僕は「もっとあげればよかった」と、背を向いて寝た。
次の日、ディズニーランドのことが気になって早くも店に出てきた僕は、出勤するミヘにいくら謝っても営業が終わって退勤するまで一回も口を聞いてくれなかった。そして、その怒りの沈黙は一ヵ月も続いた。
20日、給料日と「ゲ」の日がやってきた。当時、ミヘは韓国のビジネスマンに75万円も飲み逃げされ、それを給料から引かれたため、手にした給料は、たっだの2万円しかなかった。
営業終了後、いつものところで「ゲ」が始まったが、プライドが高く、客におねだりもしないミヘは、たよりにしていた親友のソヨンからもカネを借りることができず、そのまま「ゲ」に参加していた。
みんなは楽しくホストに抱かれて遊んでいる中で、パートナも断わってひとりで酒を飲んでいたミヘが利息を書く時間になったときには、なにもかもあきらめた顔で滅多に吸わないたばこを吸いはじめた。
「今日の利息を発表します!」
「スンミ30万円!」
「エリ、0円!」
「ジソン100円!」
「ミヘ0円!」
「店長。。。に、200万円?」
僕の金額にみんな驚いて一瞬静かになった。しかしすぐにもホストたちは嬉しくて踊りはじめた。200万円分遊べると思ってホステス達も大喜びした。
その時、「うるさい!」と、美人ママが立ち上がった。「おまえ、何んでこんなことするんだ」と、怒鳴っていた美人ママに、僕は「今日の利息の分配金は持って帰ってください」と、言って席を去ろうとすると、さっきからずっと僕をにらみつけていたミヘが立ち上がって店を出ていった。
訳が分からないまま、ボーと座っているみんなに美人ママは「今日は利息ナシ!店長が200万円もらのよ、みんないいな?」と、お金を集めはじめた。
僕はミヘを追いかけて店を出て行ったが、すでにタクシーに乗っていたミヘはッ僕の視野の中からゆっくり遠ざかっていった。去っていくタクシーを見ながら僕は何故か
「うめのすずき」を歌っていた。そのこと以来、僕とミヘの間では、前よりもっと厚い壁ができてしまった。
● 第9話/27才の生き道
母の長い留守のあいだ、金貸しの同業者だったクラブのママが母の通帳からカネを降ろして夜逃げした。事件を聴いた母は次の日帰ってきたが、ショックで手のふるえがずっと止まらなかった。
ママを実の妹のように信用していた母が旅行中に通帳と印鑑をママに預けたのが原因だった。しかしママは母のカネだけではなく、ホステス、サラ金、闇金など様々なところからカネを借りて逃げたので同業者であり、保証人であった母はママの代わりにその弁償に追われはじめた。
朝から晩までかかってくる催促電話にノイロゼ状態になった母は「ママをソウルでみたよ」と帰国したばかりのホステスから話しを聴いて韓国に出発した。
一週間後、ママに逃げられた店はホステスにも逃げられ、あっという間に潰れてしまった。
一晩で仕事を亡くした僕はあっちこっち店を当たってみたが、不況の陰が深いこの町で、仕事はそんな簡単には見つからなかった。
そんな中、面接にいった韓国クラブで、昔僕の店で仲良くしていたホステスのスミンに偶然会った僕は、一緒に夕ご飯を食べにいった焼肉屋のオーナーがスミンも常連だったので無理やり頼んで僕を厨房に入れてくれた。
給料は少なかったけど、寮があったため、母も居なくなったマンションを出て焼肉屋の寮に移った僕は韓国の留学生と同じ部屋で生活をはじめた。
焼肉屋の仕事も慣れてきた頃、客と食事しにきたスミンが厨房で皿を洗っている僕を自分のテーブルでサービングして欲しいとオーナーに頼んでくれたお陰でその日僕は手に水をつけず仕事を終えた。
その夜以来、僕が焼肉屋の厨房で働いていると噂を聴いた知り合いのホステスたちが、最初は冗談のつもりで指名をはじたのが一ヵ月後には知らないホステスからも指名されるまでになりオーナーは仕方なく僕をホールマネージャにしてくれた。
お陰で、体も楽になり、給料もあがった。
そんなある日、一緒にホールサービングをしている韓国の留学生が食事中のホスト達にスカウトされ、パートタイムホストになった。彼は5時から11時まで焼肉屋で働いて12時から朝まではホストクラブでバイトをはじめた。
絶倫好色漢でルックスも良かった韓国留学生は、まさにホストのために生まれたように夜の仕事に向いていて、あっという間にナンバーワンを脅かすほど成長し、売り上げもトップの座に昇りつめた。
日がすぎると共にやせていくこと以外、韓国留学生のホストライフは完璧なほど順調だった。そんな彼を見て羨ましいと思っていたある日の朝、奇妙な肌触りでびっくりして起きると、僕の布団の中に裸の女が入っていた。
ホテルが取れなくて寮に女性客を連れてきた韓国留学生が布団を独り占めして寝ていたので女が僕の布団に流れ込んできたのだ。
「きのうは、ごめんね」と、謝る彼に
「いや、俺も楽しかったよ!」と冗談を言うと、
それを本気にした韓国留学生がそれ以来、広くもない6畳の寮に女を連れ込んできて、隣の布団の中で度々子供作りをやっていた。
それから、僕は寝る前に必ず鏡を用意して子供作りがある日には片手で鏡をもって眼を真っ赤にして何時間も覗いていた。
12月、クリスマスが近付いたある日、韓国留学生は女を寮まで連れ込んだものの、ひどく酔っ払ったせいで部屋に入った途端そのまま倒れて気を失ってしまったので、前払いした女客は怒鳴って叩き起こしても、うんともすんとも言わない彼をあきらめて、寝たふりをしている僕を起こして子作りをはじめた。
そんな夢のような生活が3ヵ月ほど続いた時、ホストの仲間と食事しにきた韓国留学生がホールでサービングをしている僕を呼び止めた。
「今、人手が足りないから、あした面接にきてみない?」
という誘いに、顔ではいやな表情をつくりながらも心の中では万々歳をした。次の朝、早くから起きて派手な衣装に薄くなりはじめた髪をなんとかこまかして家を出た僕の心はいろんな想像で揺られていたが、クラブの中に足を踏み入れた途端、その夢はガラスの破片のように飛び散った。
彼等が言った人手が足りというのはホストではなく、ウェーターのことだった。浮かれて話しを最後までよく聴きなかった僕のせいだ。僕は焼肉で頑張ると、ホスト達に格好よく言ってやったが、店を出る僕の後ろから彼等の笑い声が止まらなかった。
その日から辛く感じてきたウェーターライフが永遠のように続いたある日、ひとりで寝ていた僕はいきなり布団に巻かれたまま、車に乗せられヤクザ事務所に運ばれた。しかし僕が布団から顔を出した時、「違うねん!」と再び布団に巻かれ寮に戻された。
体のでっかいお兄ちゃん達が韓国留学生の手帳をもって寮を出ていくを見てから韓国留学生は二度と寮に現われなかった。
親分の女に手を出した韓国留学生を探すため、毎日のように現われるやくざ連中のせいで客がほとんど来なくなり、まるでチンピラ専用の焼肉屋に化けてしまった。ちょっとしたことでも怒鳴られる辛くて長い一ヵ月が過ぎた時、たまたま食事をしにきたこの町で一番美人の韓国クラブのママが、チンピラ達にいじめられている僕に手をさしのべた。
続く...
● 第8話/26才のソウル
3ヵ月ぶりに元気な姿で戻ってきた母は夜遊びをやめてその代わり、月一回韓国にいくようになった。4泊5日の旅程に200万円近く使う母は、故郷では気前のいい貴婦人として有名になっていた。
「息子が日本で成功したお陰で、お小遣いをこんなに沢山貰って毎月韓国にこれるようになりました」と嘘の自慢をしていた母のせいで、親戚や母の友達が日本に来る度に僕はベンツをレンタルして成田空港まで迎えにいく羽目になってしまった。
そんな中、日本で大成功した息子さんに是非会いたいと、親戚一同が送ってくれた飛行機のチケットや数枚のお見合い写真を見て益々不安になった僕は、母のしつこい誘いに固く耳を閉じていた。
どんな説得にも絶対応じない僕をみて、母は「実は、おまえの本当のお父さんが、今おまえに会いたがっているよ」と目に見える嘘をついてきたが、父を探してみたい気持ちが湧いてきた僕は父に会ったらあげようと買った中古のロレックス時計を鞄に入れて韓国行きの飛行機に乗った。
キンポ空港からもう一回国内線に乗り換えて更に2時間バスに乗って夜遅く母の故郷についた僕達は、町の入り口で歓迎してくれる人の数にまずびっくりした。一瞬、真っ違って北朝鮮に来ているのではないかと緊張したぐらい、きれいな女性たちが伝統衣装に花を手にして道路辺に立って熱く歓迎してくれた上、夜11時が過ぎているにも係わらず、どんどん運ばれてくる食べ物と挨拶しにきた人々の名刺を見てもう一度びっくりした。
国会議員、市議員、銀行の支店長など、様々な人間が母の嘘に騙されて投資話や寄付の依頼のため、首を長くして僕がこの町にやってくるのを待っていた。
母の故郷で、僕は「三菱グループの次期オーナー」になっていた。
夜、母はどっかに姿を暗ました。心配で眠れない僕のホテルの部屋に娘を連れてきたお父さんが3人もいた。その中では僕の前で娘にコンドムを渡す父もいた。最後に部屋をノックした子の父は「ソーセージを食べる時は、よく噛んで食べるんだぞ」と
意味の分からないアドバイスを娘にして帰った。
3人を追い出そうとする僕に、今帰ると怒られからとベッドに潜ろうとする娘3人と、僕は仕方なく朝陽が昇るまで「はなふだ」をやって時間を潰した。
始発のバスに乗せて帰らせようと思っていたら「手ぶらで帰ると、怒られる」と、またベッドの中に潜ろうとする3人の娘に3万円ずつ握らせた後、僕は母宛にメモを残してソウルに逃げてきた。
市内の安いホテルに部屋を取ったあと、久しぶりのソウル観光を楽しみながら外に出てきた途端、ホテルの前にとまってある献血バスの可愛い看護婦さんに捕まって中に連れ込まれると、もっと可愛い子が2人もいて、私も!私も!とおねだりされてあっという間に合計3袋の血を出されたあと、オレンジジュース3本を飲み干して上着を着ているとまあまあ可愛いかった看護婦さんが、
「当分エッチは駄目よ」と言ったので、
「なんでですか?」と、返すと
「これ書いたら、教えてやる」と一枚の書類を渡された。
そこに名前、住所、職業、電話番号等を書いて渡すと「今日から三日ぐらいは勃起しないからね」とその看護婦さんがニヤっと笑った。
そのとき、奥で書類を読んだ看護婦さんが「あら、あんた新宿で働いてんの? 私の妹も今そこで働いているのよ!」といきなり興奮しはじめた。
その看護婦さんが「今日時間ある? 丁度、妹に贈りたいものがあるんだけど、ご馳走するからお願いしていい?」と、腕を引っぱる看護婦さんの顔が、凄くタイプだったので「いいよ」とすぐ返事した。
彼女に部屋番号を書いたメモを渡して献血バスを降りた時は、母のことなんかは全て忘れていた。
夜、荷物をもってきた彼女を居酒屋で口説いて部屋に連れてきた僕は「本当に勃起しないのか、試してみよう!」と、彼女の目の前でズボンを降ろすと「一応、協力はするけど、あんまり期待しないでよ」と僕のモノを口に入れる彼女の優しい声が1時間後には「もう、帰る!これぐらいやってあげたら、もう充分でしょう? 荷物はちゃんと届けてね!」と怒りの声に変わっていた。
「なんで怒るんだよ!」と僕が逆切れると、
「だって、本当に立ったないんだもん!私のほうががっかりよ!」ともっときれる彼女に
「おまえが血を抜いたからだろ!」と、怒ると
「おまえが取れっていったんだろう?」と、殴りあい寸前の喧嘩がはじまった。
しかし男には勝ってないと思って慌てて服を着る彼女に
「荷物もってけ!」と、叫んだら
「あんたみたいな人間には頼まないわよ!」と、荷物をもって出ていった。
次の朝、旅行の気分も乱れ、せっかくのソウル観光も途中で断念して日本に帰ってきた僕は
ずっと母の帰国を待っていたが、怖がりやの母は1ヵ月も帰ってこなかった。
そして、悲劇が訪れた。
背中のいれずみがとてもきれいだった美人ママに誘われ、再び店長候補として美人ママのクラブで働くことになった僕はクラブ付近のマンションに引っ越して新しい生活を始めた。
韓国でこの話を聞いた母も、夜逃げしたママ探しをあきらめて日本に戻り、美人ママのクラブの厨房で働くようになった。美人ママは、今まで見てきた数々のママの中で、一番品が良く、人徳が溢れるやさしい人で僕を実の息子のように接してくれた。
そんな美人ママのために、僕は様々なアイディアを出し、恩返しをした。数え切れないほどある美人ママの古着をホステスにレンタルして副収入を上げたり、日本人客のために店の中では韓国語を喋るホステスに罰金を払う規則を作ったり、今まではいい加減に扱っていた遅刻、欠勤への罰金を徹底に徴収するなど、ホステス達に払う給料を50%も節約することを実現させた。
ほとんどのホステスが僕の仕事にイライラしていたが、その中でたった一人、僕のやり方を歓迎するホステスがいた。それがミヘだった。昼は日本語学校に通い、夜はパートタイムホステスをやっているのミヘはとても可愛いくて特別な存在だった。
韓国語罰金も払ったこともなく、謙虚で、誠実で、頭が良くて、店では最初で最後の大学出身で、なんでも一生懸命に学ぼうとするミヘは僕のやり方でホステス達の悪い癖を治してくれると期待していた。
ある日、アメリカ人のビジネスマンが店にきた時完璧な英語で友達のように話すミヘの姿を見た中卒の僕は底知らぬ片思いに落ちた。店では経験も歳も一番下だけど、売り上げは常にベスト5に入るミヘは「沢山貯金して韓国で、子供の英語、日本語塾を開きたい」と、いつも言っていた。
そんな彼女に対した僕の感情は益々深くなって、店が終わってお客さんと食事に出て行くミヘの後ろ姿を見つめながら辛い思いをする毎日になった。
たまに食事に誘われて一緒にいった時にも一言も喋らず、なんにも食べられず「どうしたの?」と、訊かれても『あ、お腹いっぱいだから。。。」と、クッパを見つめているだけだった。
母もそんな僕の気持ちを分かってミヘだけには特別扱いをしてくれた。ミヘなら、嫁にきてもいいと言ってくれた母は様々な手段でミヘを引っぱってきた。
キムチを作った時は必ずミヘの分を取って置いてほかのホステスには内緒で食べさせるのを見ると、ミヘに新しい母ができたようだった。
昔のような派手な生活をやめてコツコツ貯金をしながら静かに暮らしていた母は、そろそろ僕を結婚させミヘと3人で韓国に帰りたいと思っていた。そのために母は再びカネ貸しをはじめたが、今度は信用できる人だけ、利息も安くしていた。
僕も母同様、お金をためて韓国に帰りたいと思いはじめた。だが、それは僕だけの夢ではなかった。店のホステスもみんな同じことを考えながらお金をためていた。みんな成功して韓国に帰りたいと思っていた。
そのため、彼女達はいろんな工夫でお金を集めていた。その一つが「ゲ」をやることだった。「ゲ」は、仲間同士で大金を作る方法で一ヵ月に一回、20人ぐらいのメンバーがお金を出し合い、くじを引いて当たった人が順番ごとでお金を持っていく昔からの女同士のお金の運用方法だった。
だが、日本ではちょっと違う形で行われていた。カネ使いが荒いホステスたちはいつも急銭が必要だったため、くじを引く代わり、自分が払う利息の金額を書いて一番高い利息を書いた人がそのお金を持っていく方法になっていた。
20人のホステスが一人10万円の「ゲ」をやる場合、200万円の金が集まる。その200万円に対して自分が払える利息を各々書き、リーダーがみんなの前で発表する。その中で一番高い利息を書いた人が金を持ってことになっていたが、20人の中では急にお金が必要になった人が必ず2、3人いるため、いつも競争的になってしまい、どうしてもお金が必要な人は4、50万円の高い利息を書いてお金を手にしていた。
もし50万円の利息が出た場合それを20人で割って分配する。50万円を20に割ると、2万5千円。結局、残りの19人は10万円ではなく7万5千円だけ払えばいいことになる。それが20回集まってすべての人がカネをもらえば、その「ゲ」は終了するという仕組になっていた。
「ゲ」には必ず主催者のリーダがいてリーダは一番最後にカネをもらうことになっているので利息は払わなくてもいいが、その代わり「ゲ」の運営や途中でカネだけもらって逃げる人を探すなど「ゲ」が無事に終わるまで参加者を徹底に管理する義務があった。
もし、逃げた人が出た場合、リーダが責任をもってその穴を埋めることになっていたので、大体の場合、ホステスたちは信頼できる店のママがリーダを勤める「ゲ」に参加していた。僕のクラブにも美人ママが仕切る「ゲ」があって僕も、ミヘも、みんな参加していた。
しかし、美人ママの「ゲ」では利息を分配せず、ホストクラブでみんなと中良く、遊ぶことで飲み代にまわしていた。その「ゲ」をやる20日、僕を含めたメンバー全員が早めに店を閉めて隣のホストクラブに遊びにいった。
その時、僕は偶然、昔のルームメートをスカウトしたホストに会って姿を消したルームメートのことを聴いた。ルームメートは数百個の使い済みのコンドムで口と喉をきっちり塞がれたまま、性器が切断された状態で大阪の海で発見されたと、そのホストが半分笑う顔で僕に言った。
テーブルに戻ってきた僕は酒が喉を通らず、ただ「大阪の海は悲しい色やね」をみんなにバッシングされながらも、何ん回も、何ん回も歌い続けた。
重い気持ちが晴れないまま、みんなとホストクラブを出てきた時「明日、ディズニーランド行かない?」と、誘うミヘの一言で、ルームメートのことなんか完全に吹っ飛んでしまった。
翌朝、孫誕生の希望に満いた母の強力な応援を背負って家を出た僕は、まだ日も昇ってない暗い駅のホームの中で約束時間になるまで小林製薬の文字が書かれてある鏡を見ながらいつもの決めセリフを練習した。
15分遅れてきたミヘにさっき練習した決めセリフを連発しながら母が用意してくれた美味しいキムチ入りの特上弁当を満員の出勤電車の中で一緒に食べながらディズニーランドに向かった。
ディズニーランドで初めてミヘの手を握った僕は、手の平にすぐ汗が染みてくるため何回も手を拭きながら握る直すのを見て、ミヘは手と手の間にハンカチを挟んでくれた。
ふたりはまるで恋人のように上々に暖まっていった。その時、スペースマウンテンの前で偶然、目の前に現れた運命の女、書類上の僕の奥さん、恵美がいた。4年ぶりの恵美の腕の中には半分白人の顔をしている赤ちゃんが寝ていて、
その隣で5歳になったアフロ頭の黒い顔をした超可愛い子がアイスを舐めていた。
50分待ちのスペースマウンテンの列にミヘひとり待たせといて、僕は恵美とカフェで、今までのことについて聴く事にした。彼氏を探しに行ったアメリカで、逃げ回る彼氏の居場所を密かに教えてくれた彼の元会社の同僚とできちゃって、しばらく同居していたが、避妊失敗で子供ができてしまい、結局、彼にも逃げられ、ふたりの子供だけ連れて日本に戻ってきた恵美は「今はずいぶん落ち着いたよ」と、言っていたが、冬なのにまだ夏の服を着ているアフロ頭の息子の姿に僕の気持ちは複雑になった。
猛スピードでジェットコースターの上を走っているミヘに携帯で謝ったあと、僕は恵美とふたりの子供を連れて家に帰ってきて母を唖然とさせた。
戸籍上だけの、しかも色違いの、ふたりの孫を複雑な気持ちで見ていた母は「お母さんのビザ更新の時も保証人になってあげるわよ」と、恵美の話で少し柔らかくなった。やっぱり子供は可愛いもの。すっかりバーバ気取りをする母は、夜には腕を振る巻いて恵美が大好きな韓国料理を作ってくれた。
アフロ頭も「辛い、辛い」と、いいながらキムチ一皿を全部食べた。夜遅くまで遊んでいた子供たちも、ぐっすり眠って「遅くなってすみません、もう帰ります」と、ふたりを抱いてタクシーに乗り込む恵美のポケットに30万円を入れると、恵美は喉がつまってなんにも言えず、大粒の涙をこぼしながら去っていくタクシーの後ろ窓から何度も何度もおじぎをしていた。
寝る前母は「恵美の鞄の中に20万円を入れといたよ」と、僕に自慢していたが、僕は「もっとあげればよかった」と、背を向いて寝た。
次の日、ディズニーランドのことが気になって早くも店に出てきた僕は、出勤するミヘにいくら謝っても営業が終わって退勤するまで一回も口を聞いてくれなかった。そして、その怒りの沈黙は一ヵ月も続いた。
20日、給料日と「ゲ」の日がやってきた。当時、ミヘは韓国のビジネスマンに75万円も飲み逃げされ、それを給料から引かれたため、手にした給料は、たっだの2万円しかなかった。
営業終了後、いつものところで「ゲ」が始まったが、プライドが高く、客におねだりもしないミヘは、たよりにしていた親友のソヨンからもカネを借りることができず、そのまま「ゲ」に参加していた。
みんなは楽しくホストに抱かれて遊んでいる中で、パートナも断わってひとりで酒を飲んでいたミヘが利息を書く時間になったときには、なにもかもあきらめた顔で滅多に吸わないたばこを吸いはじめた。
「今日の利息を発表します!」
「スンミ30万円!」
「エリ、0円!」
「ジソン100円!」
「ミヘ0円!」
「店長。。。に、200万円?」
僕の金額にみんな驚いて一瞬静かになった。しかしすぐにもホストたちは嬉しくて踊りはじめた。200万円分遊べると思ってホステス達も大喜びした。
その時、「うるさい!」と、美人ママが立ち上がった。「おまえ、何んでこんなことするんだ」と、怒鳴っていた美人ママに、僕は「今日の利息の分配金は持って帰ってください」と、言って席を去ろうとすると、さっきからずっと僕をにらみつけていたミヘが立ち上がって店を出ていった。
訳が分からないまま、ボーと座っているみんなに美人ママは「今日は利息ナシ!店長が200万円もらのよ、みんないいな?」と、お金を集めはじめた。
僕はミヘを追いかけて店を出て行ったが、すでにタクシーに乗っていたミヘはッ僕の視野の中からゆっくり遠ざかっていった。去っていくタクシーを見ながら僕は何故か
「うめのすずき」を歌っていた。そのこと以来、僕とミヘの間では、前よりもっと厚い壁ができてしまった。
● 第9話/27才の生き道
母の長い留守のあいだ、金貸しの同業者だったクラブのママが母の通帳からカネを降ろして夜逃げした。事件を聴いた母は次の日帰ってきたが、ショックで手のふるえがずっと止まらなかった。
ママを実の妹のように信用していた母が旅行中に通帳と印鑑をママに預けたのが原因だった。しかしママは母のカネだけではなく、ホステス、サラ金、闇金など様々なところからカネを借りて逃げたので同業者であり、保証人であった母はママの代わりにその弁償に追われはじめた。
朝から晩までかかってくる催促電話にノイロゼ状態になった母は「ママをソウルでみたよ」と帰国したばかりのホステスから話しを聴いて韓国に出発した。
一週間後、ママに逃げられた店はホステスにも逃げられ、あっという間に潰れてしまった。
一晩で仕事を亡くした僕はあっちこっち店を当たってみたが、不況の陰が深いこの町で、仕事はそんな簡単には見つからなかった。
そんな中、面接にいった韓国クラブで、昔僕の店で仲良くしていたホステスのスミンに偶然会った僕は、一緒に夕ご飯を食べにいった焼肉屋のオーナーがスミンも常連だったので無理やり頼んで僕を厨房に入れてくれた。
給料は少なかったけど、寮があったため、母も居なくなったマンションを出て焼肉屋の寮に移った僕は韓国の留学生と同じ部屋で生活をはじめた。
焼肉屋の仕事も慣れてきた頃、客と食事しにきたスミンが厨房で皿を洗っている僕を自分のテーブルでサービングして欲しいとオーナーに頼んでくれたお陰でその日僕は手に水をつけず仕事を終えた。
その夜以来、僕が焼肉屋の厨房で働いていると噂を聴いた知り合いのホステスたちが、最初は冗談のつもりで指名をはじたのが一ヵ月後には知らないホステスからも指名されるまでになりオーナーは仕方なく僕をホールマネージャにしてくれた。
お陰で、体も楽になり、給料もあがった。
そんなある日、一緒にホールサービングをしている韓国の留学生が食事中のホスト達にスカウトされ、パートタイムホストになった。彼は5時から11時まで焼肉屋で働いて12時から朝まではホストクラブでバイトをはじめた。
絶倫好色漢でルックスも良かった韓国留学生は、まさにホストのために生まれたように夜の仕事に向いていて、あっという間にナンバーワンを脅かすほど成長し、売り上げもトップの座に昇りつめた。
日がすぎると共にやせていくこと以外、韓国留学生のホストライフは完璧なほど順調だった。そんな彼を見て羨ましいと思っていたある日の朝、奇妙な肌触りでびっくりして起きると、僕の布団の中に裸の女が入っていた。
ホテルが取れなくて寮に女性客を連れてきた韓国留学生が布団を独り占めして寝ていたので女が僕の布団に流れ込んできたのだ。
「きのうは、ごめんね」と、謝る彼に
「いや、俺も楽しかったよ!」と冗談を言うと、
それを本気にした韓国留学生がそれ以来、広くもない6畳の寮に女を連れ込んできて、隣の布団の中で度々子供作りをやっていた。
それから、僕は寝る前に必ず鏡を用意して子供作りがある日には片手で鏡をもって眼を真っ赤にして何時間も覗いていた。
12月、クリスマスが近付いたある日、韓国留学生は女を寮まで連れ込んだものの、ひどく酔っ払ったせいで部屋に入った途端そのまま倒れて気を失ってしまったので、前払いした女客は怒鳴って叩き起こしても、うんともすんとも言わない彼をあきらめて、寝たふりをしている僕を起こして子作りをはじめた。
そんな夢のような生活が3ヵ月ほど続いた時、ホストの仲間と食事しにきた韓国留学生がホールでサービングをしている僕を呼び止めた。
「今、人手が足りないから、あした面接にきてみない?」
という誘いに、顔ではいやな表情をつくりながらも心の中では万々歳をした。次の朝、早くから起きて派手な衣装に薄くなりはじめた髪をなんとかこまかして家を出た僕の心はいろんな想像で揺られていたが、クラブの中に足を踏み入れた途端、その夢はガラスの破片のように飛び散った。
彼等が言った人手が足りというのはホストではなく、ウェーターのことだった。浮かれて話しを最後までよく聴きなかった僕のせいだ。僕は焼肉で頑張ると、ホスト達に格好よく言ってやったが、店を出る僕の後ろから彼等の笑い声が止まらなかった。
その日から辛く感じてきたウェーターライフが永遠のように続いたある日、ひとりで寝ていた僕はいきなり布団に巻かれたまま、車に乗せられヤクザ事務所に運ばれた。しかし僕が布団から顔を出した時、「違うねん!」と再び布団に巻かれ寮に戻された。
体のでっかいお兄ちゃん達が韓国留学生の手帳をもって寮を出ていくを見てから韓国留学生は二度と寮に現われなかった。
親分の女に手を出した韓国留学生を探すため、毎日のように現われるやくざ連中のせいで客がほとんど来なくなり、まるでチンピラ専用の焼肉屋に化けてしまった。ちょっとしたことでも怒鳴られる辛くて長い一ヵ月が過ぎた時、たまたま食事をしにきたこの町で一番美人の韓国クラブのママが、チンピラ達にいじめられている僕に手をさしのべた。
続く...
● 第8話/26才のソウル
3ヵ月ぶりに元気な姿で戻ってきた母は夜遊びをやめてその代わり、月一回韓国にいくようになった。4泊5日の旅程に200万円近く使う母は、故郷では気前のいい貴婦人として有名になっていた。
「息子が日本で成功したお陰で、お小遣いをこんなに沢山貰って毎月韓国にこれるようになりました」と嘘の自慢をしていた母のせいで、親戚や母の友達が日本に来る度に僕はベンツをレンタルして成田空港まで迎えにいく羽目になってしまった。
そんな中、日本で大成功した息子さんに是非会いたいと、親戚一同が送ってくれた飛行機のチケットや数枚のお見合い写真を見て益々不安になった僕は、母のしつこい誘いに固く耳を閉じていた。
どんな説得にも絶対応じない僕をみて、母は「実は、おまえの本当のお父さんが、今おまえに会いたがっているよ」と目に見える嘘をついてきたが、父を探してみたい気持ちが湧いてきた僕は父に会ったらあげようと買った中古のロレックス時計を鞄に入れて韓国行きの飛行機に乗った。
キンポ空港からもう一回国内線に乗り換えて更に2時間バスに乗って夜遅く母の故郷についた僕達は、町の入り口で歓迎してくれる人の数にまずびっくりした。一瞬、真っ違って北朝鮮に来ているのではないかと緊張したぐらい、きれいな女性たちが伝統衣装に花を手にして道路辺に立って熱く歓迎してくれた上、夜11時が過ぎているにも係わらず、どんどん運ばれてくる食べ物と挨拶しにきた人々の名刺を見てもう一度びっくりした。
国会議員、市議員、銀行の支店長など、様々な人間が母の嘘に騙されて投資話や寄付の依頼のため、首を長くして僕がこの町にやってくるのを待っていた。
母の故郷で、僕は「三菱グループの次期オーナー」になっていた。
夜、母はどっかに姿を暗ました。心配で眠れない僕のホテルの部屋に娘を連れてきたお父さんが3人もいた。その中では僕の前で娘にコンドムを渡す父もいた。最後に部屋をノックした子の父は「ソーセージを食べる時は、よく噛んで食べるんだぞ」と
意味の分からないアドバイスを娘にして帰った。
3人を追い出そうとする僕に、今帰ると怒られからとベッドに潜ろうとする娘3人と、僕は仕方なく朝陽が昇るまで「はなふだ」をやって時間を潰した。
始発のバスに乗せて帰らせようと思っていたら「手ぶらで帰ると、怒られる」と、またベッドの中に潜ろうとする3人の娘に3万円ずつ握らせた後、僕は母宛にメモを残してソウルに逃げてきた。
市内の安いホテルに部屋を取ったあと、久しぶりのソウル観光を楽しみながら外に出てきた途端、ホテルの前にとまってある献血バスの可愛い看護婦さんに捕まって中に連れ込まれると、もっと可愛い子が2人もいて、私も!私も!とおねだりされてあっという間に合計3袋の血を出されたあと、オレンジジュース3本を飲み干して上着を着ているとまあまあ可愛いかった看護婦さんが、
「当分エッチは駄目よ」と言ったので、
「なんでですか?」と、返すと
「これ書いたら、教えてやる」と一枚の書類を渡された。
そこに名前、住所、職業、電話番号等を書いて渡すと「今日から三日ぐらいは勃起しないからね」とその看護婦さんがニヤっと笑った。
そのとき、奥で書類を読んだ看護婦さんが「あら、あんた新宿で働いてんの? 私の妹も今そこで働いているのよ!」といきなり興奮しはじめた。
その看護婦さんが「今日時間ある? 丁度、妹に贈りたいものがあるんだけど、ご馳走するからお願いしていい?」と、腕を引っぱる看護婦さんの顔が、凄くタイプだったので「いいよ」とすぐ返事した。
彼女に部屋番号を書いたメモを渡して献血バスを降りた時は、母のことなんかは全て忘れていた。
夜、荷物をもってきた彼女を居酒屋で口説いて部屋に連れてきた僕は「本当に勃起しないのか、試してみよう!」と、彼女の目の前でズボンを降ろすと「一応、協力はするけど、あんまり期待しないでよ」と僕のモノを口に入れる彼女の優しい声が1時間後には「もう、帰る!これぐらいやってあげたら、もう充分でしょう? 荷物はちゃんと届けてね!」と怒りの声に変わっていた。
「なんで怒るんだよ!」と僕が逆切れると、
「だって、本当に立ったないんだもん!私のほうががっかりよ!」ともっときれる彼女に
「おまえが血を抜いたからだろ!」と、怒ると
「おまえが取れっていったんだろう?」と、殴りあい寸前の喧嘩がはじまった。
しかし男には勝ってないと思って慌てて服を着る彼女に
「荷物もってけ!」と、叫んだら
「あんたみたいな人間には頼まないわよ!」と、荷物をもって出ていった。
次の朝、旅行の気分も乱れ、せっかくのソウル観光も途中で断念して日本に帰ってきた僕は
ずっと母の帰国を待っていたが、怖がりやの母は1ヵ月も帰ってこなかった。
そして、悲劇が訪れた。