● 第11話/恵美

朝から小雨が降り続いたある月曜日、、予約もなかった8人の団体客が店に入ってきた。

「奥へどうぞ」と、ホールの中へ手を延ばす僕の目の前で黒い手帳を見せて「みんな、そのまま動かないでください!」と、体の小さい中年男性が大きい声で言った。

警察と入国管理局の捜査員たちはホステスたちを店の真ん中に集めて一人ずつ質問をしたあと、旅券とビザを所持してない13人を外に待機しているバスの中へ次々と連れていった。逃げようとするふたりのホステスと捜査員たちのもみあいで店の中はあっという間に修羅場になってしまったので僕はミヘが外に連れて行かれるのを見ることが出来なかった。

バスの中で泣いているひとりひとりに美人ママは「なんにも見せるな!、一言も喋るな!」と、韓国語で必死に叫んだ。その夜、店でミヘを助ける方法を考えていた僕は偶然財布から出てきた恵美の名刺を見つけ電話をかけてみた。

恵美は店に駆けつけてきて一緒に心配してくれた。しかし、二人ともミヘを助けるには力が足りず、床に座ってため息しかすることしか出来なかった。

それでも恵美は落ち込んでいる僕を励まそうと、ミヘのことについていろんなことを聞いてくれた。僕は、ミヘが英語が上手なことや、韓国で子供の塾を一緒にやりたかったこと、そして、ディズニーランドのことが原因で二人が別れた状態になったことなど今までの辛い気持ちを全部ぶっちあけた。

それを黙って聴いている恵美の顔が淋しいそうだったので、僕も恵美に何故黒人が好きになったのか冗談っぽくきいてみた。

すると、その質問を待ていたかのように今まで心の奥に閉まって置いた幼い頃の話しをひとつずつ、語りはじめた。誰にも言えなかった秘密も「あんたは私の旦那だからね」と、言ってくれた。更に昔整形する前の写真も見せてくれた。

僕もミヘと一緒に撮った写真をみせた。すると、恵美は「私たちは夫婦なのに一緒に撮った写真が一枚もないよね」と、淋しいそうな顔をした。だけど、すぐ恵美は「今、言ったのはなんの意味もないんだから気にしないでね」と、笑ってごまかしていたが、僕にはその恵美の気持ちが伝わってきた。

「恵美、もし、次の世で会ったら、本当の夫婦になろう」と、僕が言った。それを聞いた恵美は、溢れてくる涙を長い髪で隠すように下を見つめた。

その時、恵美が床下に落ちてあったミヘのバッグを見つけた。「みていい?」と、勝手に中身を出してみる恵美の好奇心溢れる目はもう涙は乾いていた。

「勝手に見るなよ」と、鞄を取ろうとする僕の手を避けて高く持ち上げた手帳の中からミヘのビザ申請用の証明写真が落ちてきた。それを拾った恵美が短い悲鳴を上げた。

「これが、ミヘ?」
「うん、なんで?」
「そっくり!そっくり!妹とそっくり!」と、恵美が急に立ち上がった。

「説明はあとでするから!」と、僕の手を引っぱって店を出てきた恵美はタクシーの中で妹に電話をかけた。

朝4時半、まだ寝ている妹夫婦のマンションに無理やり押し入った恵美は「明美!あんたのパスポート、貸して!緊急だから、はやく!」と、妹を起こした。

恵美の後ろで、申し訳ない顔で待っていた僕はドアが半分開いた寝室の奥から白い歯をみせて笑っている黒人と目があった。恵美と同じく、黒人好きで、アメリカ人と結婚し、国籍もアメリカに変えた明美の旦那だった。

優しい目をした旦那に挨拶もできず、恵美にあおられ、再び外に出てきた僕はミヘが保護されている入国管理局の拘留所に向かった。面会室には恵美ひとりで入っていった。

恵美は、面会を要請してから2時間ぶりに出てきたミヘにいきなり本場の英語で怒鳴りはじめた。実の姉のふりをする恵美の一方的な英語が分からず、訳が分からない顔でただ聴いていたミヘは、怒鳴りつける英語に混ざって

「店長が外でまっている」と、暗号なような言葉を聴いたとき、やっとディズニーランドのことを思いだした。

「ディズニーランドのことは本当に申し訳ない、もうこれ以上ミヘを苦しめたくない、これが最後だから恵美とそこから出てきて」と、僕が言った言葉をミヘに伝えたとき、ずっと黙って聞いていたミヘが英語で「違います!私は、ただ、恵美さんに嫉妬していただけです!私は意地悪だから、本当に意地悪だから。。。店長はどこですか?今どこにいますか?ここから出して、私をここから出してください!」と、恵美の前で英語で本音を明かした。

英語が分からない監視員に自分免許証と妹のアメリカパスポートを見せて「早く出しなさいよ!アメリカ人をこんな所に監禁していることを大使館で知ったら、ただでは済まないからね!」と、脅しはじめた。

恵美の話に怯えた担当者はすぐミヘを外に出してくれた。外で待っていた僕をみて走ってくるミヘを僕は強く抱きしめた。そしてキスをした。恵美には申し訳ないと思ったけど、僕は長い時間ミヘとキスをした。ふたりが離れた時はもう恵美はそこにいなかった。

一週間後、美人ママと僕は、潰された店をもう一度立て直すことを決心した。その夜、韓国へ帰りたいと前からずっと考えていた母は「これが日本での最後のチャンスになるかも」と、気合いを入れた。

次の朝、美人ママは事件で来なくなった客の集めを、僕は店のインテリアーを替えてリニュアルオープンの準備を、母は厨房で新しいメニューを、ミヘはホステスの募集と面接を、各々の仕事を分けて再スタートに向かって動きはじめた。

一人250万円、4人で1000万円を集めることにして週末まで美人ママの口座に振り込むことになっていたが、カネ貸しをしていた母が回収に遅れたため、口座にはまだ750万円しか入ってこなかった。

店の為にみんな必死で働いていることを誰より知っていた母はカネの回収に全ての神経を立ってていた。朝、仕事前に僕は「あんまり無理しないで、ゆっくりでいいから」と、母を慰めて
家を出たあと、その事件が起きた。

頼んでも、お金を返してくれない近所のおじさんが、母に酷く攻められたことを恨みに玄関前に置いてある新聞紙袋に火をつけた。

店で消防車のサイレンの音を聞きながらミヘに「おまえの家だよ」と、冗談を言った時、僕の携帯に隣りのおばさんから電話がかかってきた。

「店長さん! 火事よ、火事!」

母との連絡も取れず、消防官にも止められ、家の中に入れなかった僕はただ、母の部屋に注ぎ込まれる数本の水柱をみながら「あのことだけは、あのことだけは。。。」と、祈っていた。

ようやく煙が出なくなって黒焦げの残骸が見えてきたとき、心配していたことが現実になって僕の目の前に現われた。家の中に入ったふたりの消防官がお風呂の中から母を見つけた。

母は、浴槽の中で、水の上に浮いている235枚の1万円札を抱いているように座っていた。
残り15万円。。。

その15万円で、母はこの世を去った。消防官から渡された濡れた235枚の1万円札を両手に握って、母を乗せた救急車が街角を曲がるのを見ていた。

それは絶望だった。

僕は絶望した。昔、撤去された家の台所に座っていた母の姿を思い出した。
そして、今は僕が昔の母のように灰になった家のがれきの上に座っている。

お葬式が終わった日、犯人が捕まった。キムチが好きで母がいつも分けてあげた近所の鈴木さんだった。母に告白もしたことがある彼は、母にカネを返してほしいと強く攻められた時、とても傷付いたと警察に言った。

それ以来、僕は「うめのすずき」を歌えなくなった。

クラブのオープン日を一週間先送りにして休みをとっていた僕にミヘが「一緒になろう」と、優しく言ってくれたが断わって、ビジネスホテルの部屋で一週間も寝続けた。そんな僕を心配して毎日会いにきたのは恵美だった。しかし、お互い話しもなく、ずっと寝ている僕をしばらく見つめていた恵美はトイレの洗面台の中からまだ濡れている札束を見つけ、アイロンで1枚ずつ丁寧に乾かして、腰に巻いていたスカーフで大事に包んで、テーブルの上に置いたあと、静かに帰った。

恵美はアイロンをかけているとき、ずっと泣いていた。母の遺品を大事にしてくれるそんな恵美を、戸籍上だけでも妻にしていることを幸せに思った。

ミヘと同居を始めた次の日から店に出勤した僕は遅れた工事を挽回するため、徹夜をして予定通りに店をオープンさせた。29才の、僕、李建一は日本に来てから9年目の春、「韓国クラブ、スカイブルー」のオーナーになった。

ひげをはやして若くみえないようにイメージも替えた。前より無口になったと、みんなに言われるようになったが、それはただ喋ると、ひげに水たまりができるからだった。

ただ、母の死以来、自分から誰かに声をかけることはなくなった。店は順調にはスタートした。ミヘが選んだホステスは2種類だった。可愛くて、若くて、しかし、経験は少なくて日本語が下手な連中と、日本語が上手で経験も豊かだけど、歳をとって可愛くなくなったおばさんになりかけている連中。

最初の頃は不安を感じていたが、美人ママが連れてきたお客さんを二つのグループがうまく料理して満足させていったので店も売り上げも少しずつ伸びていった。18人のホステスはお互い「先輩!後輩!」と呼び合いながら、中良くやってくれた。そのお陰でチップだけでも一日100万円を超える日が半年も続いた。

僕は金貸しもはじめた。ホステスたちと「ゲ」もやった。今の僕は、金のためなら何でもやった。早く金をためてミヘとここを離れたかった。韓国に帰って子供の塾を一日でも早くやりたかった。一ヵ月3000万円の売り上げが1年近く続く中で美人ママはいつの間に贅沢三昧に深くはまっていた。

だが、僕がそのことに口を挟むことはなかった。今、誰に説教をする立場ではなかった。稼ぐことだけ没頭して恐ろしいほどお金をためていった。クリスマスが近付いて頃、店の雰囲気が少し変わっていることに気付いた。店の中では、中良くやっているホステスたちが、裏では卑怯なな派閥争いをはじめたのだ。

美人ママが店に連れてくるお客さんはほとんどが若いホステスに興味を持つため、古い連中は常連客ができないことに不満を感じていた。しかし、若い連中も違うことで不満を感じていた。若い連中は、常連客をたくさん持っている代わりに、その分ツケや飲み逃げ等、客とのトラブルも多く、その上、まだ若いため、欠勤、遅刻、韓国語使用罰金等の様々な名目に給料を引かれ、給料日に手にする金は10万を超えることが滅多になかった。

それとは反対に、古い連中は常連客を持っていないため、ツケや飲み逃げなどのトラブルもなく、それに欠勤、遅刻も一切しない上、みんな日本で長いため、日本語もぺらぺらで罰金を払ったこともないので給料から引かれることもなく、高額の給料をそのまま手にしていた。

売り上げの90%は若い連中が上げているのに人件費の70%が古い連中に手渡った。このアイロニな事実に不満を抱えていた若い連中のリーダーが営業中に禁止されたタバコを階段で吸っている古い連中のリーダーを見つけ注意をあげると、カッとキレて吸っていたタバコを顔につけ、火傷させた事件が発生した。

この出来ことで両グループが真っ二つに割れ、営業中にも係わらず、お客さんまで怪我をさせるほどの殴りあいの大戦争になってしまった。歳による力不足で若い連中にボコボコにされた古い連中は出勤拒否を言い出して若い連中全員を辞めさせない限り、出勤しないと、美人ママを脅した。年末ピークを迎えていた店はこの事件で大混乱に落ち入り、美人ママは重大な決断をしなければならなかった。

結局、若い連中の手を上げてくれた美人ママへの報復で古い連中8人はクリスマスイブの日、全員辞めてしまった。これで年末の商売が水の泡になり、忘年会の予約客や前払いパーティー券を購入した客の怒りは
2月に入っても治まらなかった。

事件以来、店の売り上げも減っていく一方、更に可愛いホステス5人がライバルの店に引き抜かれ、店には義理と人情にうるさいブスばかり残ってしまった。そんな中、店のことを聞いて駆けつけてきた恵美は、朋美まで連れてきて店を手伝ってくれたが、売り上げははどんどん落ちていった。

3月に入ってから一日の売り上げが10万円を超える日は1日もなかった。不運はこれだけではなかった。金貸しにも、「ゲ」にも、逃げる人が続出、リーダだった僕と美人ママはその穴を埋めるため、今までの貯金を崩さなければならない状態まで陥れた。

その上、ホステスの給料、店の家賃、保険料、生活費、月4回もある「ゲ」等で、もうすぐ、韓国に帰ってもいいぐらいたまっていた貯金があっという間に姿を消した。

美人ママもお金を出して傾きはじめた店をなんとかしようと、努力していたが、沈没する「スカイブルー」は厨房のねずみもいなくなったぐらい全てが手遅れだった。新しくホステスを入れようとしても店の噂をきいて面接さえくる人もなかった。

僕は日本にきてはじめて金に困っていた。手元の金はすべてがなくなってあっちこっち金を借りに走り回った。店の売り上げはホステスの給料で全部飛んでいってあと何日というところまで追い込まれていた。

昔、金を貸してあげた人達に頼みに行ってみたが、誰ひとりも金を貸してくれる人はいなかった。沈んでいく船の船長に金を貸すバカはいなかった。

そんなある日、昔、子供が病気で母に内緒で金を貸してあげたタバコ屋の若い夫婦が僕が金を借りている噂を聴いてわざわざ店にお金をもって来たが、僕が留守だったため、カウンターに預けて帰ったことがあった。

僕はタバコ屋に電話をした。「いつ返せるか分からないですけど、本当にいいですか?」と、訊く僕に「娘が生きてるあいだは、いつでもいいですよ」返事が返ってきた。

涙が溢れてきた。僕は何回も何回も「ありがとうございます」と、を自分の声が聴こえなくなるまで言い続けた。

その夜、僕は再び「うめのすずきを」歌いはじめた。お陰であと一ヵ月は生き延びることができた。そんな中でひとつ理解できなかったことは美人ママの贅沢三昧が昔と変わらず、続いていることだった。

今、店が危ないから、美容院も1ヵ月定期券を買って節約していると、言いながらも美容師には行く度に1万円のチップを渡していた。

その上、マッサージー、ネイルサロン、皮膚管理など、僕が見ていないところで派手に金を使っていると、恵美が教えてくれた。心配になってきた僕は、その贅沢について追求しようとしたその夜、美人ママは姿を消した。

まさかと思いながら、大家さんに頼んで美人ママのマンションを覗きに僕は、家裁道具すべてがなくなって空っぽになっている部屋を両目で確認した。僕よりもっと驚いて心臓発作を起こした大家さんを救急車に乗せたあと、空っぽのマンションで美人ママが残した赤い口紅がついた吸い殻を拾って火をつけた。やめてから9年ぶりのたばこだった。

翌日、美人ママはソウルに逃げたと、捨てられたママの愛人の男がわざわざ言いにきた。

数日後、「美人ママにあいたい」と、やくざが店に現われたとき、その贅沢三昧の実体が明らかになった。それは恐ろしいほどの借金だった。しかも、十日に1割もするやくざの闇金を店の名前で借りていた。店のオーナーで、そして美人ママの保証人でもあった僕はその日から毎日やつらに脅された。ミヘも、恵美も、ブスたちも、みんな脅された。

3000万円だった借金は十日後には3300万円、二十日後に3600万円、一ヵ月後には4000万円近くなってきた。

初めの頃は金を借りた本人でもないし、何とかなるだろうと、甘く考えていた僕は金に対するやくざの怖さを知らされる運命の日が近づいていることに全く気付いてなかった。

「あと10日だけだぞ!」と、告げられてから丁度10日後、4200万円を用意できなかった僕はみんなが見ている前で小指を落とされた。

「もし、次も間に合わなかったら旦那のキン玉をあんたに食わせるからな!」と、床に落ちてある僕の指をトイレに流してミヘを脅した。


夜、病院から家に帰るタクシーの中で、僕はミヘに頼んで2000万円の貯金を借りることにした。その三日後のヤクザと約束した日の朝、起きてみると、ミヘは居なくなった。手紙もなく、お気に入りの服もそのままに、銀行からおろしてきた2000万円が入った鞄だけがなくなっていた。

僕は頭まで布団をかぶって寝続けた。涙があふれてきた。涙で枕が冷たく感じた。この世に、僕と僕を隠してくれる布団しか残っていないような気がした。

夜、恵美の電話で布団の中からようやく出てきた僕は母の遺品235万円の横に「この金は僕と一緒に埋めてください」と、書いたあと、家を出た。

そして店で僕を待っていたやくざたちに「お金はないです、勝手にしてください」と、生きることもあきらめて心の準備をしていると、やつらは僕を車に乗せて事務所に連れていった。

殺風景の事務所の床で土下座してしばらく待っていると、無表情で出てきた親分が「いい根性してるな!」と、僕のズボンの中に冷たい刺身包丁を入れた時、「旦那を会いにきたものです」と、恵美が現われた。

600万円をテーブルの上に置いて僕との引き替えを申し入れる恵美に、こいつら「夫婦でいい根性してるな!」と、笑うだけで恵美の要求は応じてくれなかった。そのとき「もし、姉ちゃんがここで誠意を見せてくれれば、利息だけは消してやるぜ」と、親分が恵美のスカートをめくり上げた。

恵美はその要求に「いいわよ」と、立ち上がって奥の部屋に入っていった。わざとドアを開けたままにした連中は、「ズボンにしわがつくから」と、立ったまま恵美を犯していった。

長い、長い、そして辛すぎる時間がすぎて6人目の男が部屋から出たとき「こっちゃんっす!」と、残りの2千400万円をまた三日後に要求して二人を事務所から追い出した。

一緒に僕の家に帰ってきた恵美は「お風呂借りる」と、入っていって、長い時間出てこなかったため、心配になって覗いてみると、恵美は落ちてくるシャーワの下にしゃがみ込んで僕の歯ブラシで何度も何度も体の中を洗い出していた。

僕が覗いていることに気がついた恵美はこぼれる涙をシャワーで流し消した。僕は恵美を抱きしめた。

恵美が言った。「本当はね、ミヘがいなくなって嬉しいかったの、でも、あなたも、もう、いなくなる。。。」
「僕はどこにも行かない」
「駄目、殺される、ここから逃げて、お願い。。。」
「恵美、僕はもう、未練はない。。。」

恵美の手が顔面に飛んできた。

「バカ!なんで私がそこで6人を耐えたのか知らないの、まだわかんないの?」
「。。。」
「はやく逃げて!韓国に帰って!そして、美人ママを探して!」
「恵美。。。」

恵美は僕の目を吸い込むように見つめていた。そして、キスしてくれた。

「私、待つから、あなたが私を迎えに来る日を、ここで待つから!
だから、今は逃げて、お願い!」

恵美は僕をお風呂場から追い出して鍵を閉めた。しばらく外に立って恵美の泣き声を聞いていた僕はそのまま成田空港に向かった。