● 第12話/夢の続き

インチョン空港に着いた僕の財布の中には3万円が入っていた。10年前、韓国を出た時よりゼロが一個増えていたので10倍成功して帰ってきたと、自分を慰めた。

人の多いソウルへ行くのをやめて空港の近所で仕事を探しはじめた。しかし、落とされた小指がまだ治ってないため、チカラ仕事をやるには無理だったが、日本語が話せることで、思ってもいなかった楽なホテルの仕事をみつけた。時間が短いバイトだけど、何とか生活は出来そうだったので、指が治るまで、目立ったないように黙々と仕事をやり、仕事が終わると、美人ママを探しにソウルへ出かけた。

ソウルの夜の町は東京よりもはるかににぎやかで刺激的だった。美人ママが居そうな日本人専用クラブも数えきれないほどあって美人ママを探すことは楽なことではなかった。

でも、一軒一軒、仕事を探すふりをして面接をする形で毎晩クラブを歩き回った。そんな中でも、頭からずっと離れないことが一つあった。

ミヘのことであった。彼女の人柄を知っている僕は、どうしても納得がいかなかった。ミヘは現実から逃げるような人ではなかった。どうしてもその理由が知りたかった。

「絶対、会いに行かない」と、決心していたにも係わらず、ある夜、美人ママ探しを休んでミヘの家を探した。すぐに見つかったミヘの家はソウルの古い町にあった。

次の朝、ミヘの家の前で彼女を待っていた僕は弟と出てきたミヘを見て電信柱に隠れた。そして、尾行をはじめた。電車で20分ほどいった駅で降りたふたりは駅前の5階たての小さいビルの中に入っていった。

ビルの入口の前にはペンキ塗りの道具や引っ越しのトラックが止まっていて壁に「日本語先生募集中」と、貼紙がついてあった。ミヘは塾をはじめようとしていた。別に声をかけようとは思っていなかったが、そこから足が離れなかった。

何時間も立っていたのか、もう昼の時間になっていた。その時、どこかでみたような人がビルの中に入っていった。そして、すぐミヘと弟と一緒に出てきた。

僕はその時、何故ミヘが僕を捨てたのか分かるような気がした。ビルからミヘと一緒に出て来たその女性はミヘに荷物を送ろうとしていた献血バスの看護婦だった。これで、あきらめがつく。

「さよなら、ミヘ。。。」

ホテルの客がほとんど日本人であることもあって僕は3ヵ月も経たないうち「正社員にならないか?」と、誘われた。指もまだ完全ではなかったのでホテルに残ることにした僕は正社員の手続きに必要な書類を作るため、はじめて自分が生まれた町の区役所を訪れた。

住民登録証を申し込んで1時間も待たされた僕は、なんかおかしいと思って職員に訊ねると、奥の部屋に連れていかれた。そこで、年寄りのおじさんに

「あの、お父さんの名前は何ですか?」と、聞かれ
「李大植」と答えた。すると
「もしかして、お母さんが一年前に亡くなられましたか?」
と、きかれたので
「はい、そうですけど。。。」と答えた。
それを聴いたおじさんが
「分かりました、確かに本人ですね、しばらくお待ちしてください」と、再び外で待たされた。それから30分ほどすぎたとき、僕は住民登録証と共に分厚い書類が入った封筒を渡された。その書類に印鑑を押したあと、おじさんからこうきかれた。

「10年前、あなたのお父さんが死亡したあと、塩畑があなたに相続されましたが、当時、あなたの行方が分からなかったため、そのまま放置されていたんですが、そこに空港が建てられることになって国に塩畑が強制買収されました。これはその賠償金です」

家に戻ってきた僕の手の中には1980万円の小切手が握られていた。
まず、頭の中に浮かんできたのは恵美の顔だった。韓国に来てから一時も恵美の顔が頭の中から離れたことはない。

僕は すぐ日本に電話をした。いま、恵美は何をしているのか、無事なのか、それともやくざに曝されているのか、いつも心配していたが、電話をする勇気が今までなかった。

3日続けて電話しても、家にも、携帯にも、妹の明美も、電話に出なかったため、益々不安が大きくなってきた僕は、心配のあまりについ飛行機の座席を予約した。

4日間の休みをとって再び日本行飛行機を乗った僕の鞄の中に1980万円の小切手と、結婚指輪が入っていた。

雲ひとつない成田空港の空は美しい青色だった。幼い頃、父の外車の中で見ていた空と同じ色だった。運があるような気がした。

駅のトイレでひげとサングラスで変装したあと、恵美が住んでいたマンションにいってみた。しかし、知らない人が出てきたのですぐ店にいってみた。

「スカイブルー」は、外観は変ったところはなかったが、玄関まわりに新装開業をお祝う花飾りが沢山出ていた。僕は恵美とよくコーヒーを飲んだ道路反対側のカフェに座って待ってみた。暗くなって車も増えきた道路の中にやくざたちが乗った車がゆっくり入ってきた。

目の前に止まった車の中から3人の男と恵美が一緒におりてきて店に入っていった。やっぱり恵美はやつらに握られていた。カフェから出てきた僕はコンビニの前で電話をかけた。恵美が出た。

「恵美!俺だ!今日本だ、10分後にコンビニに来てくれ!待ってる」と、電話を切ったあと、ホテルの部屋番号を書いたメモを用意してポケットに入れた。

20分後、恵美がコンビニに現れた。変装している僕を一目で分かった恵美は買い物するふりをしながら、少しずつ近づいてきて隣に立った。

「速く逃げて」と、恵美は小さい声で心配してくれた。
僕は話しがあるから、ここに電話してと、メモを渡してコンビニを出ようとした時、恵美が僕の手を握った。「必ず、電話する」と、小さく丸めたストッキングを僕の手の中に握らせ、出て行く僕に小さく手を振った。

ストッキングの中には「私は大丈夫、気をつけてね」と、手紙1枚と4万7千円、そしてたくさんの小銭が入っていてた。

夜12時が過ぎて恵美から電話がきた。僕がいなくなってから、強制に店で働くことになったことや美人ママと僕を探すため、チンピラ達がソウルに行ったこと等、今まで起きたことを詳しく言ってくれた。

僕が「韓国に一緒に行こう!」と、頼むと「明美も店で働いているの、もし私が居なくなったら。。。」と、言葉をつまらせた。「1分でもいいから、会ってくれないか?」と、きく僕に「今、見張られているから、どこにも行けない状態なの!」と、辛そうに言った。

しかし、僕は「あした、恵美の出勤時間前に店反対のカフェで待つから必ずきて!」と、言ったあと電話を切った。

その時、想像もしなかったことが起きていた。恵美の隣りにいれずみ男が電話内容を密かに聞いていた。男は恵美に「よくやったぞ、恵美!こいつ取ったら、子供を返してやるから!」と、恵美からメモを奪って部屋を出ていった。

恵美はリダイヤルで僕のホテルに再び電話をかけたが、オペレーターが部屋につなげる前に切ってしまった。恵美はしゃがみ込んで大きい声で泣きはじめた。

その夜、僕は母の墓参りにいった。お陰で、駆けつけてきたやくざとすれちがって命が伸びた。僕がいなくなったホテルの部屋で3時間も待っていたやくざは「まあ、明日でいいか!」と、あっさり帰ってしまった。

墓参りの帰りに、昔よく見にいった外車販売店によって展示場の赤いスポーツカーを眺めた。ショーウィンドウに移る自分の歪んだ姿をみていると僕の口が「うめのすずき」を勝手に歌いはじめた。

車を何時間みていたのか、気がつくと、まわりは明るくなっていて足の周りには数十本の吸い殻が散乱していた。

ホテルに戻った僕は陽が沈むまでぐっすり寝たあと、サウナにいって体を洗って、約束場所の駅に向かった。その時、昔ミヘの為に決め台詞を練習した小林製薬のロゴが入った鏡の前に偶然立つことになった。

僕は昔のように決め台詞の練習をしてみた。苦笑いの僕の顔が鏡に映る。昔よく食べたラーメン屋でつけ麺を食べたあと、恵美との約束場所に向かった。恵美にあげる指輪を何回も確認しながらカフェに入っていくと、大きいガラスの窓際に座っている恵美が目に入った。

恵美は僕を見たとき、席から立ち上がって両手を振った。僕も手を振って返事した。

その時、ふたりの男が僕の前で立ち止まった。急に足に力が抜けていくような気がする。そしてお腹が熱くなってきた。ふたりの男が目の前から消えたとき、走ってくる恵美の泣き顔が見えた。

床に倒れる僕を抱きしめる恵美に、まず僕は小切手を渡した。血がついていた。手で拭いた。
すると、もっとついてしまった。

「ごめんね。。。」と、言いたかったが、お腹から空気が漏れるような気がするだけで声が出なかった。指輪は握ったまま、渡せなかった。もうすぐ、息が切れることを知っていたから。
恵美が大きい声で叫んでいたが、もうなんにも聴こえなかった。

顔に落ちてくる恵美の涙が体を冷たくさせる気がした。美しい恵美の顔が見れてよかった。今まで気が付かなかったけど、僕が本当に愛したのは恵美だったかもしれない。

逃げるふたりの男が、道路にとまってある大きい車の中へ飛び込むのが、開いたカフェのドアから見えた。

「あっ。。。昔、父が乗せてくれたあの車だ。。。」
「やっぱり、格好いい。。。」

意識が遠ざかっても僕の両目は、去っていく車を追いかけていた。後ろの窓ガラスに子供が横たわっているように見える。

僕だ。。。
運転席には父が、助手席には母が座っている。

僕は前に手を伸ばしてカセットをつけた。すると、今まで探し続けた、そして、あんなに聴きたたかった、「夢の続き」が流れてきた。父も、母も、一緒に聴いている。僕たちが乗っていた車は、夢を追って10年間の時間を費やしたこの町をゆっくりと、走っていった。みんなが見ていた。また大きくて格好いい車を乗っている僕達家族を羨ましい目でみていた。

美容院のおばさんも、たばこ屋のおじさんも、一緒に働いていたホステスたちも、美人ママも、みんな手を振ってくれた。車は町をすり抜けて次の街へ消えていった。

そして、僕は恵美の手を握って目を閉じた。


終わり。