人生宣言


家族を愛し、命をかけて守る。


休まず仕事をする。


人を外観で判断しない。


沢山旅行をする。


稼いだお金は家族の為に使う。


車より家を買う。


酒は飲んでも、たばこは吸わない。


喧嘩しない。


体を鍛える。


宝くじは買った方が良い。


野菜を沢山食べる。


休みは子供と過ごす。


余計に友たちを作らない。


夜遊びは30才まで。


なるべく風邪薬は飲まない。


もし、息子が殺されたら犯人を殺して自分も死ぬ。


もし、息子が人を殺したら息子を殺して自分も死ぬ。


子供の万引きは1回だけ許す。


両親と一緒に暮らす。


貯金する。


離婚しない。


子供に勉強より運動をさせる。


息子が18才になったら女を紹介してあげる。


娘が18才になったらコンドムを所持させる。


外国に家を持つ。


兄弟に貸したお金は忘れる。


友たちには絶対金を貸してあげない。


家ではエロ本を見ない。外で見る。


子供が何を食べているかをよく見る。


帰宅したら子供が一日中何をしたのかを妻に必ず聞く。


両親に電話する。


人より10年早く引退する、その代わり倍働く。


ファストフードは食べない。


子供に料理を教える。


子供に運転を教える。


子供に英語と中国語を教える。


子供にピアノを教える。もし、出来ないなら自分が習って子供に聞かせる。


リビングにテレビを置かない。


ソファーはなるべく大きのを買う。


一日最低2時間歩く。


神様を信じる。


家族には嘘つかない。


電車では寝ないで本を読む。


年1回、必ず健康診断をする。


ホームページを作ってみる。


言われなくても子供の学校に寄付金をする。


犬を飼う。できれば2匹。


学校で子供が虐められたら転校させる。自分が転勤してでも。


妻が浮気をしたら自分もやってみる。そして妻に知らせる。


友人の家に子供を一晩預けてみる。


子供にムチは12才まで。


そして。。。


電車の中で寝ていると、
隣のおばさんがこう言う。

おばさん1「うちの旦那、家でオナニしてるの私にバレた」

おばさん2「いやだー」

おばさん1「いいの、外で浮気してないって証拠だから」

おばさん2「なるほどねー」

あともうすぐで40になるこの外人、
今も妻の目を盗んでオナニをしている。
もうバレても怖くない、
でも、やっぱりつらい。。。
このストーリーは、僕の従弟の日本での10年間を描いたものです。
最初の部分とエンディングは、僕が作った話ですが、
後は、ほぼ彼の人生です。

やくざに脅され、韓国に夜逃げする前夜、僕の家に避身して
一夜を明かしながら聴いた彼の人生は、ここに書いてあることよりも、
遥かに衝撃的なものでした。書き切れないぐらい。。。

ヒトの人生は、映画よりドラマチックで、学校の授業より
学ぶことが多いと思っております。

僕が彼の人生から学んだものはとても大きいです。
「お金は大事だよ~」っていうことだけじゃないと思います。

みなさんはどうでしょう。。。
● 第12話/夢の続き

インチョン空港に着いた僕の財布の中には3万円が入っていた。10年前、韓国を出た時よりゼロが一個増えていたので10倍成功して帰ってきたと、自分を慰めた。

人の多いソウルへ行くのをやめて空港の近所で仕事を探しはじめた。しかし、落とされた小指がまだ治ってないため、チカラ仕事をやるには無理だったが、日本語が話せることで、思ってもいなかった楽なホテルの仕事をみつけた。時間が短いバイトだけど、何とか生活は出来そうだったので、指が治るまで、目立ったないように黙々と仕事をやり、仕事が終わると、美人ママを探しにソウルへ出かけた。

ソウルの夜の町は東京よりもはるかににぎやかで刺激的だった。美人ママが居そうな日本人専用クラブも数えきれないほどあって美人ママを探すことは楽なことではなかった。

でも、一軒一軒、仕事を探すふりをして面接をする形で毎晩クラブを歩き回った。そんな中でも、頭からずっと離れないことが一つあった。

ミヘのことであった。彼女の人柄を知っている僕は、どうしても納得がいかなかった。ミヘは現実から逃げるような人ではなかった。どうしてもその理由が知りたかった。

「絶対、会いに行かない」と、決心していたにも係わらず、ある夜、美人ママ探しを休んでミヘの家を探した。すぐに見つかったミヘの家はソウルの古い町にあった。

次の朝、ミヘの家の前で彼女を待っていた僕は弟と出てきたミヘを見て電信柱に隠れた。そして、尾行をはじめた。電車で20分ほどいった駅で降りたふたりは駅前の5階たての小さいビルの中に入っていった。

ビルの入口の前にはペンキ塗りの道具や引っ越しのトラックが止まっていて壁に「日本語先生募集中」と、貼紙がついてあった。ミヘは塾をはじめようとしていた。別に声をかけようとは思っていなかったが、そこから足が離れなかった。

何時間も立っていたのか、もう昼の時間になっていた。その時、どこかでみたような人がビルの中に入っていった。そして、すぐミヘと弟と一緒に出てきた。

僕はその時、何故ミヘが僕を捨てたのか分かるような気がした。ビルからミヘと一緒に出て来たその女性はミヘに荷物を送ろうとしていた献血バスの看護婦だった。これで、あきらめがつく。

「さよなら、ミヘ。。。」

ホテルの客がほとんど日本人であることもあって僕は3ヵ月も経たないうち「正社員にならないか?」と、誘われた。指もまだ完全ではなかったのでホテルに残ることにした僕は正社員の手続きに必要な書類を作るため、はじめて自分が生まれた町の区役所を訪れた。

住民登録証を申し込んで1時間も待たされた僕は、なんかおかしいと思って職員に訊ねると、奥の部屋に連れていかれた。そこで、年寄りのおじさんに

「あの、お父さんの名前は何ですか?」と、聞かれ
「李大植」と答えた。すると
「もしかして、お母さんが一年前に亡くなられましたか?」
と、きかれたので
「はい、そうですけど。。。」と答えた。
それを聴いたおじさんが
「分かりました、確かに本人ですね、しばらくお待ちしてください」と、再び外で待たされた。それから30分ほどすぎたとき、僕は住民登録証と共に分厚い書類が入った封筒を渡された。その書類に印鑑を押したあと、おじさんからこうきかれた。

「10年前、あなたのお父さんが死亡したあと、塩畑があなたに相続されましたが、当時、あなたの行方が分からなかったため、そのまま放置されていたんですが、そこに空港が建てられることになって国に塩畑が強制買収されました。これはその賠償金です」

家に戻ってきた僕の手の中には1980万円の小切手が握られていた。
まず、頭の中に浮かんできたのは恵美の顔だった。韓国に来てから一時も恵美の顔が頭の中から離れたことはない。

僕は すぐ日本に電話をした。いま、恵美は何をしているのか、無事なのか、それともやくざに曝されているのか、いつも心配していたが、電話をする勇気が今までなかった。

3日続けて電話しても、家にも、携帯にも、妹の明美も、電話に出なかったため、益々不安が大きくなってきた僕は、心配のあまりについ飛行機の座席を予約した。

4日間の休みをとって再び日本行飛行機を乗った僕の鞄の中に1980万円の小切手と、結婚指輪が入っていた。

雲ひとつない成田空港の空は美しい青色だった。幼い頃、父の外車の中で見ていた空と同じ色だった。運があるような気がした。

駅のトイレでひげとサングラスで変装したあと、恵美が住んでいたマンションにいってみた。しかし、知らない人が出てきたのですぐ店にいってみた。

「スカイブルー」は、外観は変ったところはなかったが、玄関まわりに新装開業をお祝う花飾りが沢山出ていた。僕は恵美とよくコーヒーを飲んだ道路反対側のカフェに座って待ってみた。暗くなって車も増えきた道路の中にやくざたちが乗った車がゆっくり入ってきた。

目の前に止まった車の中から3人の男と恵美が一緒におりてきて店に入っていった。やっぱり恵美はやつらに握られていた。カフェから出てきた僕はコンビニの前で電話をかけた。恵美が出た。

「恵美!俺だ!今日本だ、10分後にコンビニに来てくれ!待ってる」と、電話を切ったあと、ホテルの部屋番号を書いたメモを用意してポケットに入れた。

20分後、恵美がコンビニに現れた。変装している僕を一目で分かった恵美は買い物するふりをしながら、少しずつ近づいてきて隣に立った。

「速く逃げて」と、恵美は小さい声で心配してくれた。
僕は話しがあるから、ここに電話してと、メモを渡してコンビニを出ようとした時、恵美が僕の手を握った。「必ず、電話する」と、小さく丸めたストッキングを僕の手の中に握らせ、出て行く僕に小さく手を振った。

ストッキングの中には「私は大丈夫、気をつけてね」と、手紙1枚と4万7千円、そしてたくさんの小銭が入っていてた。

夜12時が過ぎて恵美から電話がきた。僕がいなくなってから、強制に店で働くことになったことや美人ママと僕を探すため、チンピラ達がソウルに行ったこと等、今まで起きたことを詳しく言ってくれた。

僕が「韓国に一緒に行こう!」と、頼むと「明美も店で働いているの、もし私が居なくなったら。。。」と、言葉をつまらせた。「1分でもいいから、会ってくれないか?」と、きく僕に「今、見張られているから、どこにも行けない状態なの!」と、辛そうに言った。

しかし、僕は「あした、恵美の出勤時間前に店反対のカフェで待つから必ずきて!」と、言ったあと電話を切った。

その時、想像もしなかったことが起きていた。恵美の隣りにいれずみ男が電話内容を密かに聞いていた。男は恵美に「よくやったぞ、恵美!こいつ取ったら、子供を返してやるから!」と、恵美からメモを奪って部屋を出ていった。

恵美はリダイヤルで僕のホテルに再び電話をかけたが、オペレーターが部屋につなげる前に切ってしまった。恵美はしゃがみ込んで大きい声で泣きはじめた。

その夜、僕は母の墓参りにいった。お陰で、駆けつけてきたやくざとすれちがって命が伸びた。僕がいなくなったホテルの部屋で3時間も待っていたやくざは「まあ、明日でいいか!」と、あっさり帰ってしまった。

墓参りの帰りに、昔よく見にいった外車販売店によって展示場の赤いスポーツカーを眺めた。ショーウィンドウに移る自分の歪んだ姿をみていると僕の口が「うめのすずき」を勝手に歌いはじめた。

車を何時間みていたのか、気がつくと、まわりは明るくなっていて足の周りには数十本の吸い殻が散乱していた。

ホテルに戻った僕は陽が沈むまでぐっすり寝たあと、サウナにいって体を洗って、約束場所の駅に向かった。その時、昔ミヘの為に決め台詞を練習した小林製薬のロゴが入った鏡の前に偶然立つことになった。

僕は昔のように決め台詞の練習をしてみた。苦笑いの僕の顔が鏡に映る。昔よく食べたラーメン屋でつけ麺を食べたあと、恵美との約束場所に向かった。恵美にあげる指輪を何回も確認しながらカフェに入っていくと、大きいガラスの窓際に座っている恵美が目に入った。

恵美は僕を見たとき、席から立ち上がって両手を振った。僕も手を振って返事した。

その時、ふたりの男が僕の前で立ち止まった。急に足に力が抜けていくような気がする。そしてお腹が熱くなってきた。ふたりの男が目の前から消えたとき、走ってくる恵美の泣き顔が見えた。

床に倒れる僕を抱きしめる恵美に、まず僕は小切手を渡した。血がついていた。手で拭いた。
すると、もっとついてしまった。

「ごめんね。。。」と、言いたかったが、お腹から空気が漏れるような気がするだけで声が出なかった。指輪は握ったまま、渡せなかった。もうすぐ、息が切れることを知っていたから。
恵美が大きい声で叫んでいたが、もうなんにも聴こえなかった。

顔に落ちてくる恵美の涙が体を冷たくさせる気がした。美しい恵美の顔が見れてよかった。今まで気が付かなかったけど、僕が本当に愛したのは恵美だったかもしれない。

逃げるふたりの男が、道路にとまってある大きい車の中へ飛び込むのが、開いたカフェのドアから見えた。

「あっ。。。昔、父が乗せてくれたあの車だ。。。」
「やっぱり、格好いい。。。」

意識が遠ざかっても僕の両目は、去っていく車を追いかけていた。後ろの窓ガラスに子供が横たわっているように見える。

僕だ。。。
運転席には父が、助手席には母が座っている。

僕は前に手を伸ばしてカセットをつけた。すると、今まで探し続けた、そして、あんなに聴きたたかった、「夢の続き」が流れてきた。父も、母も、一緒に聴いている。僕たちが乗っていた車は、夢を追って10年間の時間を費やしたこの町をゆっくりと、走っていった。みんなが見ていた。また大きくて格好いい車を乗っている僕達家族を羨ましい目でみていた。

美容院のおばさんも、たばこ屋のおじさんも、一緒に働いていたホステスたちも、美人ママも、みんな手を振ってくれた。車は町をすり抜けて次の街へ消えていった。

そして、僕は恵美の手を握って目を閉じた。


終わり。


● 第11話/恵美

朝から小雨が降り続いたある月曜日、、予約もなかった8人の団体客が店に入ってきた。

「奥へどうぞ」と、ホールの中へ手を延ばす僕の目の前で黒い手帳を見せて「みんな、そのまま動かないでください!」と、体の小さい中年男性が大きい声で言った。

警察と入国管理局の捜査員たちはホステスたちを店の真ん中に集めて一人ずつ質問をしたあと、旅券とビザを所持してない13人を外に待機しているバスの中へ次々と連れていった。逃げようとするふたりのホステスと捜査員たちのもみあいで店の中はあっという間に修羅場になってしまったので僕はミヘが外に連れて行かれるのを見ることが出来なかった。

バスの中で泣いているひとりひとりに美人ママは「なんにも見せるな!、一言も喋るな!」と、韓国語で必死に叫んだ。その夜、店でミヘを助ける方法を考えていた僕は偶然財布から出てきた恵美の名刺を見つけ電話をかけてみた。

恵美は店に駆けつけてきて一緒に心配してくれた。しかし、二人ともミヘを助けるには力が足りず、床に座ってため息しかすることしか出来なかった。

それでも恵美は落ち込んでいる僕を励まそうと、ミヘのことについていろんなことを聞いてくれた。僕は、ミヘが英語が上手なことや、韓国で子供の塾を一緒にやりたかったこと、そして、ディズニーランドのことが原因で二人が別れた状態になったことなど今までの辛い気持ちを全部ぶっちあけた。

それを黙って聴いている恵美の顔が淋しいそうだったので、僕も恵美に何故黒人が好きになったのか冗談っぽくきいてみた。

すると、その質問を待ていたかのように今まで心の奥に閉まって置いた幼い頃の話しをひとつずつ、語りはじめた。誰にも言えなかった秘密も「あんたは私の旦那だからね」と、言ってくれた。更に昔整形する前の写真も見せてくれた。

僕もミヘと一緒に撮った写真をみせた。すると、恵美は「私たちは夫婦なのに一緒に撮った写真が一枚もないよね」と、淋しいそうな顔をした。だけど、すぐ恵美は「今、言ったのはなんの意味もないんだから気にしないでね」と、笑ってごまかしていたが、僕にはその恵美の気持ちが伝わってきた。

「恵美、もし、次の世で会ったら、本当の夫婦になろう」と、僕が言った。それを聞いた恵美は、溢れてくる涙を長い髪で隠すように下を見つめた。

その時、恵美が床下に落ちてあったミヘのバッグを見つけた。「みていい?」と、勝手に中身を出してみる恵美の好奇心溢れる目はもう涙は乾いていた。

「勝手に見るなよ」と、鞄を取ろうとする僕の手を避けて高く持ち上げた手帳の中からミヘのビザ申請用の証明写真が落ちてきた。それを拾った恵美が短い悲鳴を上げた。

「これが、ミヘ?」
「うん、なんで?」
「そっくり!そっくり!妹とそっくり!」と、恵美が急に立ち上がった。

「説明はあとでするから!」と、僕の手を引っぱって店を出てきた恵美はタクシーの中で妹に電話をかけた。

朝4時半、まだ寝ている妹夫婦のマンションに無理やり押し入った恵美は「明美!あんたのパスポート、貸して!緊急だから、はやく!」と、妹を起こした。

恵美の後ろで、申し訳ない顔で待っていた僕はドアが半分開いた寝室の奥から白い歯をみせて笑っている黒人と目があった。恵美と同じく、黒人好きで、アメリカ人と結婚し、国籍もアメリカに変えた明美の旦那だった。

優しい目をした旦那に挨拶もできず、恵美にあおられ、再び外に出てきた僕はミヘが保護されている入国管理局の拘留所に向かった。面会室には恵美ひとりで入っていった。

恵美は、面会を要請してから2時間ぶりに出てきたミヘにいきなり本場の英語で怒鳴りはじめた。実の姉のふりをする恵美の一方的な英語が分からず、訳が分からない顔でただ聴いていたミヘは、怒鳴りつける英語に混ざって

「店長が外でまっている」と、暗号なような言葉を聴いたとき、やっとディズニーランドのことを思いだした。

「ディズニーランドのことは本当に申し訳ない、もうこれ以上ミヘを苦しめたくない、これが最後だから恵美とそこから出てきて」と、僕が言った言葉をミヘに伝えたとき、ずっと黙って聞いていたミヘが英語で「違います!私は、ただ、恵美さんに嫉妬していただけです!私は意地悪だから、本当に意地悪だから。。。店長はどこですか?今どこにいますか?ここから出して、私をここから出してください!」と、恵美の前で英語で本音を明かした。

英語が分からない監視員に自分免許証と妹のアメリカパスポートを見せて「早く出しなさいよ!アメリカ人をこんな所に監禁していることを大使館で知ったら、ただでは済まないからね!」と、脅しはじめた。

恵美の話に怯えた担当者はすぐミヘを外に出してくれた。外で待っていた僕をみて走ってくるミヘを僕は強く抱きしめた。そしてキスをした。恵美には申し訳ないと思ったけど、僕は長い時間ミヘとキスをした。ふたりが離れた時はもう恵美はそこにいなかった。

一週間後、美人ママと僕は、潰された店をもう一度立て直すことを決心した。その夜、韓国へ帰りたいと前からずっと考えていた母は「これが日本での最後のチャンスになるかも」と、気合いを入れた。

次の朝、美人ママは事件で来なくなった客の集めを、僕は店のインテリアーを替えてリニュアルオープンの準備を、母は厨房で新しいメニューを、ミヘはホステスの募集と面接を、各々の仕事を分けて再スタートに向かって動きはじめた。

一人250万円、4人で1000万円を集めることにして週末まで美人ママの口座に振り込むことになっていたが、カネ貸しをしていた母が回収に遅れたため、口座にはまだ750万円しか入ってこなかった。

店の為にみんな必死で働いていることを誰より知っていた母はカネの回収に全ての神経を立ってていた。朝、仕事前に僕は「あんまり無理しないで、ゆっくりでいいから」と、母を慰めて
家を出たあと、その事件が起きた。

頼んでも、お金を返してくれない近所のおじさんが、母に酷く攻められたことを恨みに玄関前に置いてある新聞紙袋に火をつけた。

店で消防車のサイレンの音を聞きながらミヘに「おまえの家だよ」と、冗談を言った時、僕の携帯に隣りのおばさんから電話がかかってきた。

「店長さん! 火事よ、火事!」

母との連絡も取れず、消防官にも止められ、家の中に入れなかった僕はただ、母の部屋に注ぎ込まれる数本の水柱をみながら「あのことだけは、あのことだけは。。。」と、祈っていた。

ようやく煙が出なくなって黒焦げの残骸が見えてきたとき、心配していたことが現実になって僕の目の前に現われた。家の中に入ったふたりの消防官がお風呂の中から母を見つけた。

母は、浴槽の中で、水の上に浮いている235枚の1万円札を抱いているように座っていた。
残り15万円。。。

その15万円で、母はこの世を去った。消防官から渡された濡れた235枚の1万円札を両手に握って、母を乗せた救急車が街角を曲がるのを見ていた。

それは絶望だった。

僕は絶望した。昔、撤去された家の台所に座っていた母の姿を思い出した。
そして、今は僕が昔の母のように灰になった家のがれきの上に座っている。

お葬式が終わった日、犯人が捕まった。キムチが好きで母がいつも分けてあげた近所の鈴木さんだった。母に告白もしたことがある彼は、母にカネを返してほしいと強く攻められた時、とても傷付いたと警察に言った。

それ以来、僕は「うめのすずき」を歌えなくなった。

クラブのオープン日を一週間先送りにして休みをとっていた僕にミヘが「一緒になろう」と、優しく言ってくれたが断わって、ビジネスホテルの部屋で一週間も寝続けた。そんな僕を心配して毎日会いにきたのは恵美だった。しかし、お互い話しもなく、ずっと寝ている僕をしばらく見つめていた恵美はトイレの洗面台の中からまだ濡れている札束を見つけ、アイロンで1枚ずつ丁寧に乾かして、腰に巻いていたスカーフで大事に包んで、テーブルの上に置いたあと、静かに帰った。

恵美はアイロンをかけているとき、ずっと泣いていた。母の遺品を大事にしてくれるそんな恵美を、戸籍上だけでも妻にしていることを幸せに思った。

ミヘと同居を始めた次の日から店に出勤した僕は遅れた工事を挽回するため、徹夜をして予定通りに店をオープンさせた。29才の、僕、李建一は日本に来てから9年目の春、「韓国クラブ、スカイブルー」のオーナーになった。

ひげをはやして若くみえないようにイメージも替えた。前より無口になったと、みんなに言われるようになったが、それはただ喋ると、ひげに水たまりができるからだった。

ただ、母の死以来、自分から誰かに声をかけることはなくなった。店は順調にはスタートした。ミヘが選んだホステスは2種類だった。可愛くて、若くて、しかし、経験は少なくて日本語が下手な連中と、日本語が上手で経験も豊かだけど、歳をとって可愛くなくなったおばさんになりかけている連中。

最初の頃は不安を感じていたが、美人ママが連れてきたお客さんを二つのグループがうまく料理して満足させていったので店も売り上げも少しずつ伸びていった。18人のホステスはお互い「先輩!後輩!」と呼び合いながら、中良くやってくれた。そのお陰でチップだけでも一日100万円を超える日が半年も続いた。

僕は金貸しもはじめた。ホステスたちと「ゲ」もやった。今の僕は、金のためなら何でもやった。早く金をためてミヘとここを離れたかった。韓国に帰って子供の塾を一日でも早くやりたかった。一ヵ月3000万円の売り上げが1年近く続く中で美人ママはいつの間に贅沢三昧に深くはまっていた。

だが、僕がそのことに口を挟むことはなかった。今、誰に説教をする立場ではなかった。稼ぐことだけ没頭して恐ろしいほどお金をためていった。クリスマスが近付いて頃、店の雰囲気が少し変わっていることに気付いた。店の中では、中良くやっているホステスたちが、裏では卑怯なな派閥争いをはじめたのだ。

美人ママが店に連れてくるお客さんはほとんどが若いホステスに興味を持つため、古い連中は常連客ができないことに不満を感じていた。しかし、若い連中も違うことで不満を感じていた。若い連中は、常連客をたくさん持っている代わりに、その分ツケや飲み逃げ等、客とのトラブルも多く、その上、まだ若いため、欠勤、遅刻、韓国語使用罰金等の様々な名目に給料を引かれ、給料日に手にする金は10万を超えることが滅多になかった。

それとは反対に、古い連中は常連客を持っていないため、ツケや飲み逃げなどのトラブルもなく、それに欠勤、遅刻も一切しない上、みんな日本で長いため、日本語もぺらぺらで罰金を払ったこともないので給料から引かれることもなく、高額の給料をそのまま手にしていた。

売り上げの90%は若い連中が上げているのに人件費の70%が古い連中に手渡った。このアイロニな事実に不満を抱えていた若い連中のリーダーが営業中に禁止されたタバコを階段で吸っている古い連中のリーダーを見つけ注意をあげると、カッとキレて吸っていたタバコを顔につけ、火傷させた事件が発生した。

この出来ことで両グループが真っ二つに割れ、営業中にも係わらず、お客さんまで怪我をさせるほどの殴りあいの大戦争になってしまった。歳による力不足で若い連中にボコボコにされた古い連中は出勤拒否を言い出して若い連中全員を辞めさせない限り、出勤しないと、美人ママを脅した。年末ピークを迎えていた店はこの事件で大混乱に落ち入り、美人ママは重大な決断をしなければならなかった。

結局、若い連中の手を上げてくれた美人ママへの報復で古い連中8人はクリスマスイブの日、全員辞めてしまった。これで年末の商売が水の泡になり、忘年会の予約客や前払いパーティー券を購入した客の怒りは
2月に入っても治まらなかった。

事件以来、店の売り上げも減っていく一方、更に可愛いホステス5人がライバルの店に引き抜かれ、店には義理と人情にうるさいブスばかり残ってしまった。そんな中、店のことを聞いて駆けつけてきた恵美は、朋美まで連れてきて店を手伝ってくれたが、売り上げははどんどん落ちていった。

3月に入ってから一日の売り上げが10万円を超える日は1日もなかった。不運はこれだけではなかった。金貸しにも、「ゲ」にも、逃げる人が続出、リーダだった僕と美人ママはその穴を埋めるため、今までの貯金を崩さなければならない状態まで陥れた。

その上、ホステスの給料、店の家賃、保険料、生活費、月4回もある「ゲ」等で、もうすぐ、韓国に帰ってもいいぐらいたまっていた貯金があっという間に姿を消した。

美人ママもお金を出して傾きはじめた店をなんとかしようと、努力していたが、沈没する「スカイブルー」は厨房のねずみもいなくなったぐらい全てが手遅れだった。新しくホステスを入れようとしても店の噂をきいて面接さえくる人もなかった。

僕は日本にきてはじめて金に困っていた。手元の金はすべてがなくなってあっちこっち金を借りに走り回った。店の売り上げはホステスの給料で全部飛んでいってあと何日というところまで追い込まれていた。

昔、金を貸してあげた人達に頼みに行ってみたが、誰ひとりも金を貸してくれる人はいなかった。沈んでいく船の船長に金を貸すバカはいなかった。

そんなある日、昔、子供が病気で母に内緒で金を貸してあげたタバコ屋の若い夫婦が僕が金を借りている噂を聴いてわざわざ店にお金をもって来たが、僕が留守だったため、カウンターに預けて帰ったことがあった。

僕はタバコ屋に電話をした。「いつ返せるか分からないですけど、本当にいいですか?」と、訊く僕に「娘が生きてるあいだは、いつでもいいですよ」返事が返ってきた。

涙が溢れてきた。僕は何回も何回も「ありがとうございます」と、を自分の声が聴こえなくなるまで言い続けた。

その夜、僕は再び「うめのすずきを」歌いはじめた。お陰であと一ヵ月は生き延びることができた。そんな中でひとつ理解できなかったことは美人ママの贅沢三昧が昔と変わらず、続いていることだった。

今、店が危ないから、美容院も1ヵ月定期券を買って節約していると、言いながらも美容師には行く度に1万円のチップを渡していた。

その上、マッサージー、ネイルサロン、皮膚管理など、僕が見ていないところで派手に金を使っていると、恵美が教えてくれた。心配になってきた僕は、その贅沢について追求しようとしたその夜、美人ママは姿を消した。

まさかと思いながら、大家さんに頼んで美人ママのマンションを覗きに僕は、家裁道具すべてがなくなって空っぽになっている部屋を両目で確認した。僕よりもっと驚いて心臓発作を起こした大家さんを救急車に乗せたあと、空っぽのマンションで美人ママが残した赤い口紅がついた吸い殻を拾って火をつけた。やめてから9年ぶりのたばこだった。

翌日、美人ママはソウルに逃げたと、捨てられたママの愛人の男がわざわざ言いにきた。

数日後、「美人ママにあいたい」と、やくざが店に現われたとき、その贅沢三昧の実体が明らかになった。それは恐ろしいほどの借金だった。しかも、十日に1割もするやくざの闇金を店の名前で借りていた。店のオーナーで、そして美人ママの保証人でもあった僕はその日から毎日やつらに脅された。ミヘも、恵美も、ブスたちも、みんな脅された。

3000万円だった借金は十日後には3300万円、二十日後に3600万円、一ヵ月後には4000万円近くなってきた。

初めの頃は金を借りた本人でもないし、何とかなるだろうと、甘く考えていた僕は金に対するやくざの怖さを知らされる運命の日が近づいていることに全く気付いてなかった。

「あと10日だけだぞ!」と、告げられてから丁度10日後、4200万円を用意できなかった僕はみんなが見ている前で小指を落とされた。

「もし、次も間に合わなかったら旦那のキン玉をあんたに食わせるからな!」と、床に落ちてある僕の指をトイレに流してミヘを脅した。


夜、病院から家に帰るタクシーの中で、僕はミヘに頼んで2000万円の貯金を借りることにした。その三日後のヤクザと約束した日の朝、起きてみると、ミヘは居なくなった。手紙もなく、お気に入りの服もそのままに、銀行からおろしてきた2000万円が入った鞄だけがなくなっていた。

僕は頭まで布団をかぶって寝続けた。涙があふれてきた。涙で枕が冷たく感じた。この世に、僕と僕を隠してくれる布団しか残っていないような気がした。

夜、恵美の電話で布団の中からようやく出てきた僕は母の遺品235万円の横に「この金は僕と一緒に埋めてください」と、書いたあと、家を出た。

そして店で僕を待っていたやくざたちに「お金はないです、勝手にしてください」と、生きることもあきらめて心の準備をしていると、やつらは僕を車に乗せて事務所に連れていった。

殺風景の事務所の床で土下座してしばらく待っていると、無表情で出てきた親分が「いい根性してるな!」と、僕のズボンの中に冷たい刺身包丁を入れた時、「旦那を会いにきたものです」と、恵美が現われた。

600万円をテーブルの上に置いて僕との引き替えを申し入れる恵美に、こいつら「夫婦でいい根性してるな!」と、笑うだけで恵美の要求は応じてくれなかった。そのとき「もし、姉ちゃんがここで誠意を見せてくれれば、利息だけは消してやるぜ」と、親分が恵美のスカートをめくり上げた。

恵美はその要求に「いいわよ」と、立ち上がって奥の部屋に入っていった。わざとドアを開けたままにした連中は、「ズボンにしわがつくから」と、立ったまま恵美を犯していった。

長い、長い、そして辛すぎる時間がすぎて6人目の男が部屋から出たとき「こっちゃんっす!」と、残りの2千400万円をまた三日後に要求して二人を事務所から追い出した。

一緒に僕の家に帰ってきた恵美は「お風呂借りる」と、入っていって、長い時間出てこなかったため、心配になって覗いてみると、恵美は落ちてくるシャーワの下にしゃがみ込んで僕の歯ブラシで何度も何度も体の中を洗い出していた。

僕が覗いていることに気がついた恵美はこぼれる涙をシャワーで流し消した。僕は恵美を抱きしめた。

恵美が言った。「本当はね、ミヘがいなくなって嬉しいかったの、でも、あなたも、もう、いなくなる。。。」
「僕はどこにも行かない」
「駄目、殺される、ここから逃げて、お願い。。。」
「恵美、僕はもう、未練はない。。。」

恵美の手が顔面に飛んできた。

「バカ!なんで私がそこで6人を耐えたのか知らないの、まだわかんないの?」
「。。。」
「はやく逃げて!韓国に帰って!そして、美人ママを探して!」
「恵美。。。」

恵美は僕の目を吸い込むように見つめていた。そして、キスしてくれた。

「私、待つから、あなたが私を迎えに来る日を、ここで待つから!
だから、今は逃げて、お願い!」

恵美は僕をお風呂場から追い出して鍵を閉めた。しばらく外に立って恵美の泣き声を聞いていた僕はそのまま成田空港に向かった。